マルチゲーマーで行こう。

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「ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン」感想+批評会、解説を経て

 

ゲーマゲ、色々と面白いラノベだったので感想を個人的にブログに上げようと思っていたけど、なんやかんやあって本人の解説記事が出た後になってしまいました。

 

saize-lw.hatenablog.com

 

作者が全てを語った後でもまあ意味あるんじゃないかなと思って書き始めてます。

いや、そもそも全ての感想に意味はある。

 

自己紹介とはじめに

作者の解説に書かれている通り、LWと格ゲーに関する色々なトピックについて話したり、LWに人生昇竜(これは昔いた、とある格ゲーマーが生んだ名言です)の概念を話したのは私です。
ゲーマゲ感想記事や批評会の中に格ゲーマーの方は多分いなかったので、ここでは格ゲーマー視点での感想をつらつら書いていきたいと思います。

LWのサイゼリヤ古参ファンとして、以前サイゼリヤで取り扱っていた可能世界論を描いている事もアツいのですが、そちらは本人が解説した以上の感想が全くないので触れません。

 


彼方のゲーム哲学は素晴らしいが、良いキャラクターではない

私は彼方のゲーム哲学を理解出来ますし、彼方が存在する事を全然おかしいと思いません。
しかし、率直に言えばゲーマーとして成長が止まったまま世界最強になってしまっているなぁと感じました。
これは設定がおかしいとか描写が足りないとかではなくて、現実にゲーマーとして生きる私に、彼方がそれほど説得力を持たなかった。

 

実際に、"カス戦闘民族ゲーマーであった高校生の頃の私"がどのように誕生したかを語ると

1、勝利の喜びを知る
そのままの意味。勝つととても嬉しい。

2、敗北を知る
認められない。俺の方が強いはずなのに。お前は絶対に許さん。
敗北を知る、と言いつつ知らないのである。しかし重要な体験である。認知不協和。

3、勝つためにスキルアップし始める
方法は色々あろうが、強くなるために闇雲に戦ったり鍛錬したりする事だ。

4、結局勝てない
認められない。しかしもう負ける対戦は続けられない。俺の方が強いはずだからだ。
すると、勝てる相手と戦うか、勝てるフィールドに行くか、勝てる相手を用意するか、その辺の選択を迫られる…

 

そうして実際に私がどういう行動をとっていたかというと、ゲーセンにある様々なゲームを少しずつ遊び、勝てそうな相手にだけ乱入し、その中で少しずつ競り勝てる相手を増やしていく所謂初心者狩りに耽っていた。
高校生にとって50円、100円が貴重なので、同じ金額で長く遊ぶ必要があったという事情も重なってはいるが…

彼方の話に戻す。
こうしたカスの戦闘民族ゲーマーが生まれる現実を省みて、彼方は異世界無双作品の主人公なのだから無敗最強なのはいいとして、無敗最強でカスのゲーマーって誕生し得るか…?という、好き嫌い、共感出来る出来ないではなく、彼方って何…?みたいな気持ちが湧いてくる。”彼方みたいな人”が想像出来ない。

私は、色々な尖ったゲーマーたちにそれなりに会ってきたけど、その人たちの人物像から彼方までが遠い。(批評会当日は他の人よりは彼方の事を分かっているつもりなので、いやいや彼方はね…とフォローする側に回っていたが…)


そんなんでゲーマー語ってんじゃねぇ!という素直な反発

なんか、その心持ちでこれがゲーマーです!ドン!とお出しされても前提が「これはゲーマーじゃなくて彼方だね。」なので、ゲーマーという言葉は使わないで頂けますか?という気持ちも湧いてきてしまう。


古い。

解説記事で最終章のゲーセンにいたチャンピオンが1番彼方に近いマインドを持っている、と書いてありました。チャンピオン好きなんだけど、古い。
具体的にはあの時代って90から00年代くらいのもので、戦うゲーマーたちのリアルってもう数周進んでしまってるんですよね。

彼方に似たキャラの例としてゲーミングお嬢様とかが挙げられてたけど、ゲー嬢って当時を知らない若者が面白おかしく読んだり、当時を知るおじさんがノスタルジーを感じながら読むものじゃないですか。

ので私の感想としては、作品が凄い未来の舞台だし、今風の無双ものなのに、ゲーマー観だけが古くてちぐはぐさを感じた。


とはいえそれを上回る加点があった

現実と虚構を混同しているオタク


1番好きなシーンは彼方が立夏を犠牲に放った氷魔法を、ジュリエットがあっさり避けるシーンです。
「ジュリエットが好き」+「命や覚悟を賭けたところで届かないものは届かない」+「でも人生昇竜を放つ者の気持ちは完全に分かる」という事でトリプルフェチパンチをくらいました。
うおおおお!!素晴らしい。

 

師匠にあたるVAISがマイクラ世界に連れて行くシーンもかなり良かった。こんな序盤でそんなゲーマーの本質的な事を!?と思ったのを覚えています。

最後に神威と歩み出すシーン(俺は端的に誤読していたっぽいんだけど)をSF百合として見た時に、行き詰まった世界でどちらかを殺すでもなく、諦めて安住するでもなく、世界ごと壊してしまうでもない回答の可能性を見せてくれたのはアツかった。
SF百合のラストって大体そうならないから。

 

そして1人で対戦ゲームをやってきた(最初のファンタジスタ立夏と組んでいた時も立夏は外付け装備みたいなもので実質1人で戦っているから)彼方が多人数戦という、個人戦より複雑な領域に歩を進めたのが、百合的にもゲーマーの成長的にも綺麗にまとまっていて良いなと思った。
いやいや、1人でやるゲームより多人数戦が上位っていうのは違くないですか?という意見があるのは分かる。
ただ、1人でやるゲームでは培えない技能が多人数ゲームに要るのは間違いない。

 

LWが格ゲーをあまり知らないはずなのに、格ゲーマーが考える事の一部に辿り着いている

これは凄いというか面白かった。
俗に作者が知らない事は作品に書けないとか言うけど、色々な知識を繋げ合わせたり、今の知識から類推して辿り着く(辿り着いたように見せる)事って可能なんだなーと驚きました。

具体的にはまずエルフ村のイツキの風魔法を使った回避なんですが、あれ完全に北斗の拳のブーストとか、them’s fightin herdsのTianhuoの特殊移動とかなんですよね。
今どのように動いていようと全然違う方向に物理的に移動する、前に動いているのに急に後ろに進む、という技やシステムの事。ただの移動なんですが、格ゲーにおいてはこの系統の動きはとにかく強すぎて、使用回数を厳しく制限されてるとかそもそもゲーム内に存在しない事の方が多いです。
そういう格ゲーの歴史的に重みがあるアクションが、劇中でも重要なアクションとして扱われていた、それをLWが多分意図せず書いたというのは驚きでした。

 

2つ目はジュリエットのシームレス多段攻撃
あれは2つの意味で良くて、まず格ゲーシステム的に端的に”クソ”なんですよね。
こういう攻撃しながら防御している、防御していながら急に攻撃してくるといった動きも、歴史的に凄く厳しい制限が掛けられてます。制限が掛けられてない昔のゲームはクソゲーと呼ばれます。強過ぎるからです。強過ぎるジュリエットにふさわしい近接アクションだと思います。

真に良かったのは、格ゲープレイヤーあるある的にアツいんです。
人間は平均して0.2秒前後で状況を判断、反応して格ゲーのキャラを操作をするわけですが、じゃあ逆に0.2秒より短い間で動きに幅を持たせたり、変化を加えれば相手を上回れるのではないか?0.2秒単位にチャンク化して認識している世界を、なんとかそれ以下に割る事が出来れば?という事を格ゲーマーなら誰しも考えた事があるはずなんですよ(ちょっと過言)
だって、究極は反応が1Fで操作も1Fの人間がいたら最強ですよね。
そういう格ゲーマーの妄想の究極形をジュリエットがやっている事がアツいと思いました。


言い訳

「ゲーム大会のために海外に飛ぶような奴が、ゲームに真剣に打ち込んだ事がほぼない、はウソ」

確かに格ゲーの大会のために仕事を1週間休んでラスベガスに飛ぶのは、傍から見ればゲームに真剣かも知れませんが、私はその時本気で優勝する気で飛んでいませんでしたし、何より自分自身がゲームに真剣だなと思った事が一度もありません…
というのは完全なアスペ回答で、ゲーマゲ読者として見たらゲームに真剣な読者に分類されるので、素直に真剣と答えるべきでした。