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命を賭した― 賢者の地上戦。

それはある日の夜

私はとある街のとある店の待合室にいた

暗く、しかし重くはない不思議な空気が流れるその部屋で、おもむろに聞いた事のある名前のマンガを手に取る

自殺島

特徴的なお顔を描くホーリーランドの作者だ

その重々しい題名の通り命をテーマにしたマンガだ

どうやら作者は生死の境を彷徨った事があるらしく、その経験の前後では世界が変わって見えたという。

なんだかマンガの内容も合わさって凄く…重いとか悲しいのではないが考えさせられる…そんな気持ちになった。

自分は自分の死を意識しない。怖い夢を見そう。何か心臓がバクバクして寿命が縮みそうだし。

最近この話を適当に近しい人にしてみるんだけど、あっさり死ねるなら死にたい。とか、別にいつかは死ぬんじゃない?とか

自分ほど死(無)そのものに怯えてる人はいないようだ

あ、自分は無宗教です。親はどっちかって言うと孔子の教えかなあ?とか言ってたけど何か信ずるものがあるわけでもないので無宗教です。

たまーーにこのブログでも書くように最近オタク成分ばかり摂取していて、こんな事考える機会がなかった。自殺島は死に関して何か面白い事を言ってくれるかな?

続きが読みたくなってしまった。読みたいマンガはたまる一方。

どうぞ~~

自分は待合室にいるんだった。

なんてニュートラルな気分なんだろうか。

ある意味初めての精神状態だ…

電車に乗り、帰路につく俺は、「マリア様がみてる」を開く

このシリーズは他の本を挟みながらめちゃくちゃゆっくり読んでいる。

長いのもあるが(全37巻)、読み終わりたくない。この本は面白い。

そもそも男性向け百合(男性向けではないのだが)の金字塔という立ち位置で読み始めたのだが、こいつは百合以前に昔ながらのライトノベルの精神が生きている。

すっかり老害オタクと化し、なろう系に挑戦するも発作で読めなかったもれの大好物なのだ。

ちょうど半分くらいまで差し掛かった今のシーン、祐巳瞳子にフラれてしまう。

自分の気持ちを素直に伝えれば必ず伝わるとはよく言ったものだが、受け取るのは相手であり、相手もまた人間である。

そういう事がよく分かり、また重くのしかかるシーンである。

ああ、祐巳も祥子さまもなんてカッコいいんだろう…濃い人間ドラマを描きながら、その悲しみから救ってくれるのは「姉妹」という友達でも家族でもパートナーでもない存在。

そんな思わず泣きそうになったところでカラッと令ちゃんが祥子さまの元を訪れるシーンへの転換は最早救済。

何で落とされた相手に救済されなきゃならんのか。マリみて恐るべし。

ああ、ここまではるばる22巻、令ちゃんと祥子さまの友情は度々示唆されてきたものの2人きりで1話使うのはこれが初めて。

門を出る時の短いやりとり…挿絵の効果もあるんでしょうな。あれだけ怒濤の展開で、最後に自転車2人乗りの引き…

はぁ…

語彙力のない女子はここで尊いという言葉を使うのでしょうな。

尊い。じゃないんだよ。君の中では何も生まれなかったのかね?

尊さ受け取って満足してんじゃねーぞ。

マリみては地上戦

そう言い放った男がいると言う。

勿論全てを聞いたわけではないが、その単語を選んだ意味が、俺には分かる気がする。

"基本"ではない。"地上戦"なのだ。

基本とはおおもと、よりどころ、基礎、そんな意味である。

地上戦は確かに基本という意味合いもあるけど、少し違う。

地上戦はスキップ出来る。基本がないと応用は成り立たないが、地上戦がなくても空中戦は成り立つ。しかも地上戦よりも効果が大きい。

だからマリみてを読まなくてもコミック百合姫は読めるしめちゃくちゃ面白い。

重要な事として、ここで終わってもいい。空中戦は面白い。これは間違いない。

しかし、空中戦で勝負が決まらなかったらどこで勝負をつけるか?

いや、戦いの本質は空中戦にあるのか?

派手で効果が大きい事が、本質ある証左なのか?

違うだろう。そういう事だ。

マリみては、地上戦である。

少し軽くなった財布をしまい、夜道を歩き出す。

やっぱり1人より2人…なんてな…

おわり