マルチゲーマーで行こう。

何文字でも書けるツイッターです

マキオン固定戦、チームゲーでは勝敗を反省しない

 
マキオン固定戦

格ゲーのつてで、全国クラスのプレイヤーやそれに追随するレベルのプレイヤーとマキオンを遊べる環境におり、長年シャッフル(野良2on)民として細々とやってきた私も固定チーム戦の何たるかを少し掴めた気がする。

 

口酸っぱく言われる「シャフと固定戦は別ゲー」という事に関してだが、私の結論としてはぶっちゃけ同じゲームでしょだ。

シャフは固定に比べて、

・連携がとり"づらい"

・大局的な戦略がズレ"やすい"

・格差マッチが起き"やすい"

のは事実だと思うが、程度問題であって根本からゲーム内容が変わっているような事はないので、固定よりシャフの方が連携の取れたレベルが高い綺麗な試合が出来る事はまあまあある。

 

シャフが別ゲーという文脈でよく語られるのが「弱い奴を見つけて狩るゲーム」「自分1人で体力調整するゲーム」だが、殆どの原因は2on2の中に実力差があるからであり、相手が知らない奴だからかどうかは最も大きな要因ではない。

だって、固定戦でも2on2の中に少しでも弱い奴が1人いたらそいつを狩るか、守れるか、を巡る試合展開になるもの。

ワールドトリガーで見たでしょ?知らんけど。

 

そんな事は実は分かってるよという読者も多かろうと思うので、自分が次遊ぼうと思っているスプラトゥーン3に絡めて、チームゲーに対する印象と抱負を書き残しておこうと思う。

 

チームゲーに潜む反省の罠

対戦ゲームとしてチームゲーを攻略しようとした時に落とし穴があるなとは思っている。

結論から言うと攻略のアプローチとして、人数が多いゲームほどチーム単位での結果は考慮しない方が良い

 

チームの人数が多ければ多いほど個々の技量がチームに与える影響が少なく、チーム単位で全体がどう動くかを考えた方が良い、というのは大局的には正しいが…

身体の比喩を真に受けて、考えるのは脳で、聞いて動くのは俺たちと捉えると一生上手くならない。

私の攻略が今まで間違っていたなと思うのは、反省の方法、PDCAのcheckの部分だ。

 

個々の動きはチームの目的(≒勝利)に沿っていなければならない。

しかし、チームの目的が達成出来たかどうかで個人の動きを評価する事はチームゲーにおいては恐らく正しくない。

 

例えば1on1の格闘ゲームでは、相手が様子見していたところで飛んでしまったから負けた。次は飛ばずに歩く。これは反省が活かされて次は勝てる可能性が高い。結果に対する自分の行動の影響度が50%もあるから。

 

4on4のスプラトゥーンではどうか。私はヤグラ阻止のためにハイパープレッサーを切ったが、ヤグラは即座に放棄され前線で人数差が一時的に発生し、キルを取られ余計に押し込まれる事態になって負けた。次は同様の場面でハイプレを撃たずに合流する。

詳細は省くが違和感がある反省かと思う。状況によるだろというやつだ。

 

人数が多いゲームは結果に対して絡む要素が多く、1人1人の影響度が低い。裏を返せば、勝敗の結果から個々の反省を始めるのは間違っている。

具体的には、アドバイスを求めたり反省する時に「負けたけどどうすれば良かったんだ」という問題提起で始める事は多いが、そのやり方を個人的には減らしてみたいと思っている。

 

人数が多いゲームであればあるほどもっと局所的に捉えて、勝敗に関わらずチームへの影響度が高かった自分個人の動きに注目していきたい。(果たして上手く注目出来るものなのか分からないが…)

スプラトゥーンなら、人数差をつける有効なボムを投げられたか、ブキ種に合った有効なポジションを奪えたか、味方を守るとかオブジェクトを奪うというような意図通りにスペシャルが使えたか…

とか、とにかく小さい単位で考えて、負けたからダメだった、勝ったから良かったという評価軸を一旦捨てる。

 

 

この試合はあのプレーがカギになって勝敗が決まったね、なんていうのは実況解説か観戦者に必要な振り返りであって、プレイヤーに必要な振り返りじゃないよな。という事をガンダムの固定をやっていて思った。

 

おわり

サマソニ2022 ライブ映えはやはりある。

サマソニに行きました。

オタクなのに。

 

ライブハウスよりデカい箱の経験、ナシ!

大規模フェスの経験、ナシ!

 

箱はともかく、フェスって何か知らないアーティストでも盛り上がらなきゃいけなかったら嫌じゃないですか。面白くないもんは面白くないし。

でもサマソニ様は凄いステージ数(並行して開催されているライブの数)と出演の巡り合わせで、まあ曲聴いてるし見れるなら見たいけどワンマン行くほどじゃないしな~ってアーティストの6連打が成立!ありがとうサマソニ!参加!

 

アツかった~とか盛り上がった~とか書いても何もならんので、MVとSpotifyを飛び出してデカい箱のライブで好感度アゲたかサゲたかを書いていこうと思う

 

神使轟く、激情の如く。

アゲ

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流石は武道館アイドル。魅せ方が圧倒的にイイ。全員ボーカルだから全員動けるしね。

惜しむらくは、武器でもある曲の複雑さが、そのまま初見のノリにくさになってしまっている。これはもう仕方ない。俺がノれ。

 

BRIDEAR

少しアゲ

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良くも悪くも予想通りのガールズメタルバンドで、最前が4-50の前方疲弊おじさん(?)で埋められててかなり好感持てた(?)

 

何か知らんステージギミックみたいなキャラ出てきておもろかった。流石は世界を股にかけるバンドか。

 

RAISE A SUIREN

アゲ

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アゲです。Raychellさん上手すぎて、ライブでもクソカッコいい。DJはライブでちゃんと輝く。

2曲目メギツネはズルい。ボーカルは本家より良…いやっ

 

 

BAND-MAID

サゲ

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これはサゲたくなかった~ビジュアル間違いなく良いんだけどまあMVでも見てるしな~

そんなにライブで輝き増さなかった。

 

Fear, and Lathing in Las Vegas

アゲ

(サマソニの写真がなかった)

これは間違いなくアゲ。Key&Voが会場で一番暴れてんだもん。バグっとる。

てか曲がそもそもライブ用。パーティ用。1曲に何回花火打ちあがる設計やねん。

 

 

MAN WITH A MISSION

並み

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なんか、会場と客の入りがデカすぎて分からなかった。あそこまでデカいとあれは何?観戦?

 

 

おわり。

カリオペの初ソロライブがありました

 

いや~凄かった。2020年9月にデビューして、半年くらい経って、ああこの人多分ワンマンライブやるだろうなという確信めいた期待があって、しかも日本で開催されて、チケットが当たるという壁を乗り越えて、その場に居る事が出来た。

 

冒頭6曲の配信ライブは無料で見る事が出来る。社会科見学のつもりで、6曲目のぐらとのコラボ曲「Q」だけでも聴いていかれると嬉しい。チャンネル登録者数ベースで現存する最強Vtuber2人の楽曲の、ライブ初披露である。

youtu.be

(開始時間指定済み)

 

アイドルのコンサートとは真逆のものを見せたい

カリオペのリアルライブでの初登場は、ホロライブの全体フェスLink your wishでRedを歌ったのが最初である。
アイドルのライブであるから、振り付けもしっかりある。広い会場にみんなのペンライト。それがアイドルコンサートの作法だ。

youtu.be

(開始時間指定済み)

 

 

今回のライブ前のインタビュー記事や、デビュー当時から言い続けていた事だが、「私はアイドルっぽくないし、みんなもそれを求めてない。」

もっとダークでエッジの効いた、アンダーグラウンドのラップシーンのようなライブをやると。

 

全てはこの数曲のために

私は約2年、カリオペの事をずっと応援してきた。
わためとのラップバトル、Vtuberだから出来たMythメンバーのサプライズ登場、思わずニヤりとするライブ仕様の歌詞変更、尊敬する先輩とのコラボ、未発表の新衣装を携えてのアンコール登場etcetcetc…
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(新衣装でのアンコール登場。アァー♡)

 

語れる事は無限にあるが断言したい。全てはこの瞬間のためにあった。

「ホロライブの先輩、同期、スタッフの皆さん、そしてファンの皆さん本当にありがとうございます。1つだけお願いがあります。」

「Put down your penlight. ペンライトを置いてください。」

 

フロア爆湧き。

俺爆泣き。

 

ゲストDJのTeddyloid氏作曲で贅沢にも自らライブアレンジ、Let's End The World

nonsense(意味がない)で、語感とフロウ全振りで構成されたカリオペ史上最もカオティックで激しい、HUGE W(2nd albumの個人的一押し曲!!)

自身を象徴する曲であり、そしてカリオペの原点であるネットラップに近いトラックを使った、失礼しますが、RIP♡

以上3曲で終演。

 

音楽ライブの熱狂には場の人間との一体感と、音楽に没入する快感が不可欠だが、その2つは基本的にはトレードオフだと思っている。

アイドルのライブで同じ色のペンライトを会場が一体となって振る姿と、クラブで各々踊り狂う姿を想像して頂ければ良い。

カリオペがライブの終盤でやりたかったのは、後者寄りの各々がその身ひとつでノって熱狂するライブだ。私はメタル畑から来た人間なので、勿論「put down your penlight」でぶち上がった。そうだそれでこそ私の求めたライブであり、カリオペのルーツであるアンダーグラウンドシーンなのだと…

余談

メタル(やラップ)のライブが、クラブで各々踊り狂うような集合した個の空間という事ではない。モッシュは領域を決めてケガをしないようある程度の秩序があるものだし、折り畳みなどは見た目は激しいがペンライトのように一体感を楽しむノリでもある。

 

 

では本当にアイドルのコンサートと逆だったか?

ライブ翌日の配信でもアイドル文化へのリスペクトを語っており、カリオペ的には従来のホロライブと遠ざかった、という意味でアイドルのコンサートと真逆、と言っているのだと思う。

が、冷静に今国内で人気アイドルと呼ばれる面々を見渡した時に、それ単体で通用しそうな(通用するとは言ってない)音楽活動を行うアイドルってそんなに珍しいだろうか?

今までたまたまホロライブにそういった人材がいなかっただけで、むしろ正統に人気アイドルとしてビッグになって行ってると私は思いました。

少女病終わっちゃった

少女病は、物語性の強いファンタジーボーカルサウンドを紡ぐプロジェクト。

(lantis公式より)

 

つい2日前をもって少女病はラストライブを終え、活動を終了した。

 

めっちゃかなC。かなCってか心にぽっかり穴が空いてしまって自分でも驚いてる。ぶっちゃけそこまで好きだったかな?って感じ。

でもよく考えたらめっちゃ好きだったんだなっていう話。

 

少女病の存在感

ありていに言うとSound Horizonフォロワーである。

サンホラは当時、同人ファンタジー音楽界に物凄い影響を与えたらしい。というかそのジャンル自体を1から規定してしまったようだ。

少女病はサンホラフォロワーとして(別に名乗っているわけではないが)初めての作品を出したのは2007年、私が少女病の作品を聴き始めるのは2009年の事である。結構最近だ(?)

当時の事を思い出すとやっぱりサンホラ"フォロワー"(パクり)と言われてしまうように、どうしても物語の作りが甘いというかのめり込めない部分があって、私は端的に言って浅いと思っていた。

でも後にたくさん聴くようになるのは少女病の曲だった。

理由は単純で、音がカッコいいからだ。

2人の女性ボーカルのほか、声優を台詞やナレーションに起用している。曲調はシンフォニック・ロックを中心とし、物語性やキャラクター性を前面に押し出した楽曲を生み出している。

(wikipediaより)

先日のラストライブのセトリがそうだったのだが、少女病が得意としているのは速くて激しい曲で(実際に収録されている曲としてはゆっくりな曲も半分くらいあるのだが)、それと私の好みが完全に合致していたのだ。

で、浅いな~wとか言いながら十数年も聴き続けていたというわけである。

 

浅いな~wと言いながら少女病好きすぎる俺

語りっていうのはそういうメタ情報をズバリ言っちゃうんじゃなくて周りくどさが必要で…

有名声優を起用すればいいってもんじゃなくて…

やっぱり新しい音楽性に挑戦してる方が偉くて…(これはもっと好きなアーティストがそういう事をずっと言っていたから、大先輩サンホラは新しい事をめちゃくちゃやり出したから)

って本当に思ってたんだけど、少女病の言語センスっていうか言葉選びがもうめちゃくちゃ好きで、対戦ゲームのプロフィールに書く一言コメントみたいなやつ色んなゲームで全部少女病の歌詞にしてた。しかも全部違うやつ。多分7年間くらい。もう、めっっっちゃ好きやんそれって。

 

俺氏、狂わされる

フフッ、浅いな~と思いながら少女病を聴く大学生の私。もう何度か聴いたはずの「残響レギオン」のトラック9、真実の解放。

open.spotify.com

(聴かなくてもよい)

暴虐な魔女の下から逃げ出した少年少女2人、同じくその魔女に兄を殺された声の出ない妹、2作品くらい前に登場してた魔女に抗う少年ルクセイン。がレギオン(軍団)となって魔女を打ち倒す…というストーリーのクライマックスにあたるトラックなんですが

魔女を倒し、昔の仲間と感動の再開を果たしたと思ったら、なんと寝込みを襲ったはずの魔女は死んでいない、どころか、そもそも逃げ出した少年少女は既に死んでいて魔女の力で動いていただけというオチなのですが、その少年少女自身が死んでいると判明した時の少女の絶叫がありえん良くて、その鳥肌が立った瞬間は良かったのかどうかも分からんくて、えっ何この鳥肌は!?って思った。大学終わって溝の口のゲーセンに向かってる時の17時くらいの電車内。

恐怖で強張って出る竦んだ声でもなくて、不審者が出た時に頑張って出す一番大きい声でもない、本当に死ぬ間際くらいしか人間からこんな声出ないんじゃないかみたいな良い演技なんですわ。

落ち着いて分析すると、曲自体もその絶叫に合わせて壮大なオーケストラでサビに入るところだし、何より絶叫が終わり切らないくらいで物語音楽特有の地の文を歌う歌詞が被せるように入ってくるんですよね。演出全てがあってあの一瞬が生み出されてるわけなんですけども。

それからというもの、その少女の声優は伊藤かな恵だから何か類似の作品がないか探してみたり、ホラー映画の名優を探してみたり、悲鳴だけ20分くらい収録されてる同人音声を買ってみたりしたんだけど、真実の解放のあの一瞬に比べれば全然大した事ない。

このたかが同人音楽(金払って毎日聴いてるのに?)の分かり切ったオチがなんでこんな…!って思いながら結局めちゃくちゃ聞いた。

まさしく少女病からしか得られない栄養だけで1日に必要な悲鳴を賄ってた。

 

わたモテの主人公が声優の罵倒ボイスをレコーダーに入れて延々聴いている描写とか、オリラジ中田が綾波レイのボイスを自分で録って登校中に聞いてたのとかこんな感じなんだろうな。みんなこっそり飯食ってんだよ。残響レギオン発売は2010年だから俺はこの時20歳だけどね。

 

 

2016年、突然のHP更新停止

2007-2016まで、半年か1年に1回CDを出していたんだけど、特にお知らせもなく更新が止まってしまった。

少女病はメインメンバーとして主催1人とボーカル2人なんだけど、主催は名前がないしネット上に露出もないから、HPの更新が止まったら情報源何もないわけ。よく考えたら昔って全てのものがそうだったんだけど。

それでたまに思い出したように聴いたりツイッターで呟いたりして2021年まで時は経つ

この1か月後にクラファン告知来るよ。2021年の私。

 

 

2021年、クラウドファンディングでラストアルバム制作プロジェクト開始

これそもそもよく気付いたなと思う。それこそ公式ツイッターアカウントとかないし…

もう即CD+ライブコースにお金入れた。

この時点でもまだ、浅いな~wってちょっと見下してるわけ。お金入れたのに。普段歪んでるって言葉使わないんだけど、オタクって歪んでるんだなって思った。流石に。

 

ラストアルバム届く

少女病の物語って魔女が5人いる1つの世界でなんやかんやある、っていうめちゃ手広くて各話の繋がりが薄い感じのスタイル(同人ファンタジー音楽に一番多いスタイルだが)なんだけど、ちゃんとまとめてきた。素晴らしい。

言及してる人がいなくて逆に意外だったんだけど、外で見てるだけの観測者たちと何とかハッピーにしようと奔走する少年に対して「何も知らない少女の頃が正しかったなんて決めつけないで」「あなたが救ったのはあなただけ」って最後の最後でめちゃくちゃオタクが好きなやつやってくるやんけ~

我々が少女に押し付ける願望とそれを一蹴してすり抜ける少女っていうモチーフを、それ話としては面白くないやろ…というくらい理不尽にボロボロにされてきた少女がそれをやるの、重たい。

 

ラストライブ観る

正直、万が一少女病の関係者がこれを読んだら悲しむけど、最後まで少女病は深くはなかった。

でもラストアルバムの最後にしてライブ最後の曲genesisが流れた時はスッと涙が流れた。

ずーーっとこのセクサリスサーガってシリーズものをCD18枚100曲以上やってきて、ずーーっと暗くてカッコ良くて、でも最後J-POPみたいなどこかで聞いたクソ明るい曲調で、未来の物語を紡ぐためにこの物語はもう終わらせますっていう雑っちゃ雑な〆なんだけど、雑で片づけるには少女病と過ごした十数年はマジで長すぎた。

 

以前別れで泣けないという話をした事があって、自分は例えば卒業とか葬式とかそういうものに特別な感情があまり湧いてこなかったんだけど、少女病のCDもう出ないんだ、と思った時に本当にスッと声も出ず泣けてきて、これくらい人生の内を占めていたものが終わると別れの涙って出るんだ…と突然別れって言葉が辞書に載った感覚だった。

まさか少女病がこんな貴重な人生に出る体験をさせてくれるとは夢にも思わなかった。

思わなかったとか言ってるけど、少女病大好きなのをさして自覚してなかった自分がおかしかっただけなんよな。好きとか嫌いと言われてる感情は本当に一筋縄では行かないなと思う。

 

何かに感動するには自分が期待して、入れ込んでいないといけないって自分で何回か言ってる気がするけど本当にその通りやなと思う。

しかし高校生に始まって十数年はズルいよ。今から増やそうたって増やせないじゃん。

だからこそ始まって続いて終わってくれた事に感謝なんですけどもね。ありがとうございました。

第12回サイゼミの日の日記


サイゼミのために大阪から夜行バスで来る人が2人いるの凄い事だと思う。

長距離移動というと自分にとってはゲームかメイド喫茶か人に会うために突き動かされてやるもので、それらと同じくらいサイゼミが魅力を持ったものなのだと考えると何かおもてなししなきゃという気持ちになる。
実際、ちゃんとおもてなしされに来てよ!(予告なしに突然大阪から会場に来たため)と言っておきました。

 

「みそは入ってませんけど」みそ氏初登壇!NP完全を完全攻略

会ってみたら殆ど詐欺的なほど好青年で知られるみそ氏。彼の脳みそから迸る電流はレンタルルームを支配していた。

彼の講義に適切にツッコミを入れつつ笑う事が出来る人間がこの世に何人いるのだろうか、今まで自分が早口オタクなどと名乗っていたのが恥ずかしくなる超高クロック講義だった。

それでいて質問にはちゃんと答えてくれるものだから、概要は掴めたと思う。
今回は聴衆としてかなり意識的に多めに質問を投げてみたのだが、効果はあったと思う。

単に分からない事を質問すると分かるという効果以上に、対話するとなんだかスッと頭に入ってくる効果が自分の特性としてある。

 

 

"「NP完全」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。「P=NP問題」という言葉にも聞き覚えがあるかもしれない。それは何かこう不思議な響きがして――何せ完全なのだ――しかもモダンな印象を与える。使うとインテリっぽい気分にもなれる。その問題はNP完全だから……。 "(みそ氏の講義レジュメより引用)

 

NP完全は確かにカッコ良かった。恐らく本当に先端付近を走っている理論のせいなのか、話の道中に「まだよく分かっていません」や「実用としては使えていません」が頻出するのが凄かった。

 

何というかこれはもう講義に関係ない自分語りだが、人間が好奇心を理由に何かをする事をなかなか正当化出来ない風潮を最近感じている。

何の役に立つんですか?という実用主義の話よりもう少し広い気がして、なんか何事にも正当な理由付けを要求されるというか、そうでないと見向きもされないというか。

今回のNP完全の講義を終えてカッコ良かった…と思ったわけだが、何か久々にピュアな好奇心が満たされたそんな気持ちになった。

何故なら私はhello worldしかプログラムを書けないから…

 

 

メイヤスー「有限性の後で」

正直に言うとめちゃくちゃ話が込み入っていて(哲学がこれまでに文脈を積み重ねすぎて?)なかなか真意を掴めたという感覚には至らなかったのだが、最近千葉雅也著「現代思想入門」を読んでいて(有限性の後での訳者は千葉氏)そこに書いてあった話が私の頭の中をぐるぐるしていた。

 

(サイゼミ聞いてないと多分この項は意味不明。)

 

哲学はその哲学書を読む解釈自体が分かれるし、読み方自体が研究みたいな学問なので本を引用するのに今凄くビビっているが、まあとにかくやってみる。「現代思想入門」で、フランス現代思想をつくるには4つの原則が考えられるという仮説が書いてあった。

 

4つの原則

①他者性の原則

その時代の前提となっている前の時代の思想、先行する大きな理論において何らかの他者性が排除されている、という事を発見する。

②超越論性の原則

先行する理論ではある他者性Xが排除されている、ゆえにそれを排除しないようなより根本的な超越論的レベル=前提を提示する。

③極端化の原則

排除されていた他者性Xが極端化した状態として新たな超越論的レベルを設定する

④反常識の原則(④は付け足し的かもと書いてある)

①~③を行うと反常識的な帰結が出てくるが、その反常識的なものが超越論的前提としてあり、常識の世界は実はその反常識によって支えられているという転倒に至る。

 

現代思想入門」自体が凄く丁寧にエッセンスだけを抽出して書いてあるのでそれを更に抜き出す事にビビっているが(2回目)確かに今までサイゼミに登場した現代思想たちってこの形をとっている気がしてきた…

今回の「有限性の後で」の話も、カントに始まった独断的実在論とそのフォロワーが唱える相関主義では「祖先以前性を扱えない」という他者性の排除(①)があり、それを排除しない前提として、世界が別様である可能性は想像でき、理由は不明だが今はたまたま存在している(②)とし、排除されている他者性の極端な状態つまり私たちの非存在の可能性もこの前提には含まれている(③)。すなわち偶然性の必然性、この世界は何の理由もなく別様の世界に変化し得るという真理が確立される。

 

という話だと理解しておいた。

 

それってコペルニクス的転回じゃなくてプトレマイオス的反転ですよね?は死ぬまでに一度使ってみたい。

ないでしょ、ちゃんと思い出して使える場面…

 

 

少女庭国が好きなオタクに勧める作品はあるか?

少女庭国〕 (ハヤカワ文庫JA) | 矢部 嵩, 焦茶 |本 | 通販 - Amazon.co.jp

文庫版の表紙がカッコ良すぎたので貼ってみた。私が読んだのはハードカバー版なのでこんなギョッとする表紙絵では全くない。女子生徒が歩いてるだけの絵だ。

月並みな言い方だが私は凄くこの作品が印象に残っている。奇書とか怪作とか言われる類の小説だが、好きとは少し違って(もちろん大好きだが)、とにかく強く心に焼き付いている。

何と今日になって気付いたのだが、数か月前ツイートで引用していたこの本のとても良い感想↓

note.com

の著者が今日サイゼミのために大阪から来た人だった。そんな事ある?

彼に思い切って、少女庭国が好きな俺に勧めるコンテンツ何か無いですか?と聞いてみて何作品か提示されたのだが、彼は何かしっくり来るのを提示出来なかったようで悔しそうにしていた。

そもそもこんな突飛な本の類似品を求めるのが無茶な話ではあるが、何かワンチャンありそうな作品があれば是非知りたい。

再読したくなってきたな。

 

サイゼミ女人禁制説

じわじわサイゼミ内でも話題に挙がっているし、サイゼミのバランサーとして頭角を現してきた私(私、は普通頭角を現さない。)もなんか一言言っておくかと思った。

まず自分個人の意見としては女性がいるならいたでサイゼミは面白くなるだろうと思っている。既に、異なる出自の人がいればいる程面白くなっていると思っているからだ。

 

それはさておき、女人禁制説が持ち上がる原因として主催(?)のLWがブログに質問への回答という形で女性に興味がない、必要以上の会話をする意思がない、と書いているからだろう。

彼はただ誠実に説明しているのに一部誤解されていそうなので敢えて援護しておくが、興味がない、会話する意思がないというのは一般にイメージされるネガティブな意味の興味がない、ではない。人間に対して興味がない、という言葉を使うと短絡的に嫌いに近しい印象を持つ人はまあまあいるはずだが…

そういう意味"ではない"事を説明するのは難しいが、例えばLWは職場では普通に女性とコミュニケーションをとって仕事をしているらしいし、こないだ誰かの家で遊んだ時に女性がいたけど普通に会話してた。(実例)

彼は偶然周りに女性がいないけど、それは恐らく全くの偶然ではなくてプライベートで自分からコミュニケーションを取る発想がないからだろう、という誠実な分析をして説明しているだけで、それ以上でも以下でもない。

 

で、そもそもサイゼミの興味の方向が男性オタクに寄っていて、話題に興味があるかは置いといて呼んでよいものなのか?つまり失礼にあたる事があるのではないか?という事に関してだが、サイゼミのメンバーは少なくとも私が知る集団の中では"自分が今何を言っているのか、を最もよく理解している人たち"だ。

異性への失礼の根本にあるのは大半がその"無自覚さ"から来るものだと理解しているが、それについてはむしろ一番信頼出来るとすら思う。

 

そもそも話に興味があるのかに戻ってくるが、全体として内容も会話もラディカルな傾向にあるのは間違いないし、それを受け付けない人は実際にいる。(いた。)

ただ、その辺の意見や雰囲気の相違というのはもうみんな大人なんだから、対話して参加するなり参加しないなりしましょう、むしろそのためにサイゼミという場があるようなもん、と思う。

 

まとめると、恐らくLWは一部の人に誤解されているだろうなという事と、サイゼミって集団はむしろ大人び過ぎているくらい大人なので(対話という点に関しては!)、大抵対話で解決出来るし何も問題なくないか?という事を書きました。

あといてもいいけどどうなるか分からない、という説も本当にどうなるか分からないから分からないと誠実に言っている(いたことがないから。)だけだよね…

なんか大きく出たけどこれに対してサイゼミメンバーが何か言おうとすると結構カロリーが要りそうなので先攻有利という事で好き勝手書いた。

かこつけて昔話

何かにかこつけて昔話をするのって昔話が悪いんじゃなくて、単に話が面白くないのが悪いでしょう。

 

現実の話をするなら人間昔話しか出来ないんだし。昨日あった事も昔話なんだし。

 

何かにかこつけて昔話、悪い事じゃないと思います。今から昔話をするので

 

 

シン・ウルトラマンを観た

シン・ゴジラ2じゃんって思った。でもうおお映画ソムリエなので、これ多分ウルトラマンのファンがうおる(勢いとこだわりで作られた、ファンディスク的雰囲気の作品の事。パシフィックリム、ガルパンが相次いで高得点を記録した時に生み出された。)ために作ったやつだなという事も分かった。

 

 

 

久々にオタクと映画館行って飯を食ったのでひとしきり感想も交換し終えた。

私のまとめとしては、ファンディスク的にうおれず特に特撮に愛着を持たないオタク(俺。)は、多分シン・仮面ライダーに期待を寄せるか。となった。

 

ゴジラウルトラマン仮面ライダーと並べた時に、オタクがニチャれる要素(それは思想が強いって事ですよ、と友人に補足された)が多いタイトルは仮面ライダー>ゴジラ>ウルトラマンのはずで、シンシリーズも原作の方針に寄せているからシン・ウルトラマンはうおお系映画になってるのでは?と自分は納得した。

 

今書いていて、ではエヴァは…と思わなくはないけど、自分はどれも浅くしか知らないので真に憂う事も過度に期待する事もない。

 

シン・ウルトラマンで一番良かったシーンは友人に言い当てられてしまった、長澤まさみがチェーンソーでウルトラマンを助けに来るシーンだが、新たな発見として巨大長澤まさみには意外にも何も感じなかった。

巨大女の良さは現状二次元限定みたいだ。

 

仮面ライダーの思想が強そうという話が出たので全く関係ない昔話をするが、私は小中学生の頃クウガファイズまでをVHSで録画して全部見ていた。

当時を振り返ると私は龍騎のストーリーを2ミリくらいしか分かっておらず、龍騎の感想としては書けたものではないが、何も分からない子供が何を考えていたかの資料として自分の中に今も残っているエピソードがある。

朝の30分ではなく1時間のスペシャル番組で、主人公がこの後戦いを続けるか戦いをやめるかという選択を視聴者が電話投票で決めるという企画があった。

当時の私が理解していた戦いを続けるか続けないかの判断材料として、

・主人公は戦うのが好きではない

・しかしそう言いながら主人公は戦って他人を打ち負かしている

・戦わなかった奴は死んだ

大体この3つだったと思う。自分は多少迷って戦い続けるに入れた。ちなみに結果は戦い続ける版の結末が放映された。なんか、何となくみんな戦いをやめる方を望んでるんじゃないかと思ってたから、戦い続ける方になって嬉しかった記憶がある。

 

 

これまた中学生の時に遊んだ、ひよこ侍というフリーゲームがある。知る人は知る名作だ。

ひよこ侍(フリー・アクションRPG)紹介・感想・攻略メモ | ひとりアウトプット広場

剣士として最強を目指し、好敵手、友人、恋人を斬り、最後に師匠的な人と対峙して、師匠が主人公(プレイヤー)に何のために剣を振ってきた?と問われ

「自分のため」「剣のため」「死んでいった者のため」

と3つの選択肢が提示される。答えると師匠はそうか。とだけ答えて師匠を斬ってエンディングへ。

ちなみに分かりやすいハッピーエンドは1つもないのだが、自分は死んでいった者のためを選択。結末は道中で無名のチンピラに刺されて死亡。

 

この時龍騎の電話投票の事を思い出して、これだけ戦っといてスッとやめれるわけないよな…(戦いの場から降りれるわけないよな…)と何か心に響くものがあったのを覚えている。

 

今でこそ第三、第四の結末が選択されるのが流行の創作の形態ではあるが、私は降りずに死ぬ事を綺麗に描く作品に未だ惹かれる。

 

テレビアニメ版Phantomを見終わって面白かったなぁと思って感想見に行ったら酷評だらけで当時は悶々としたものだが、(ひよこ侍の死んでいった者のためエンドと構造はおおむね同じで、主人公が死んで終わり。)自分の嗜好と創作のルールが分かれば、色々な人がいるねで済む話だ。

という昔話。

配信ライブ、Anime girl、インターネットなどについて

ソープランドって何

いきなり題にない意味不明テーマからスタートするが、書き始めてみるとこの話題について意外に言いたい事が多くない事が分かったのでサッと終わらせる事にした。

読むにあたって恐らく必要な前置きを1つだけしておくが、私は素人童貞である。

 

陰キャと風俗というテーマがインターネットで語られる時、バリエーションはあれど風俗は私に何にもたらしたか、という語り口が殆どな気がする。私は風俗に救われました、とかこんなもんかと思いました、とかそういうのだ。

陰キャ陰キャたらしめている最たる壁の1つである事は間違いないのだから、そういった感想が出るのは当然だし、私自身も初めて風俗に行った時そう思った。

が、今現在そういう話題にはあまり興味がなくて、風俗ってエッチする場所なのになんでみんな人とか社会の話をしてるの?という気持ちになってしまう。

陰キャ風俗ルポ楽しむ派でもないし、そういうの気持ち悪いよ派でもないし、興味ない派でもない気がする。おいどうしたんだよ…みんなエッチに興味があるから風俗に行ったんじゃないのかよ…派だと思う。

対人エロコンテンツの感想で自分の話をするのではなく、エロの話をしてください。

果たして何への返答だったのか、何で話し始めたのか分かんなくなっちゃったけど、エロい事が好きならもっと真剣になってくださいって思います。

 

やっぱりライブがすき

後半のテーマは結構人が読める文章にまとめられるし言いたい事を言える予感がしているんだけど、ソープランドで何人か振り落とされてしまったのが悲しくてならない。何でこんな事書いたんだろう。

先日、ホロライブのリアルイベント、リアルライブが開催された。

www.youtube.com

今回のライブで期待していたし良かったのは森カリオペよりもホロライブインドネシアのムーナとリスなのでホロIDのダイジェストを貼った。いや、俺はID組が1番凄いの知ってたけど?みたいなキモオタク態度が見事にハマった(やっばり1番凄かった)のが良かった。

私は何らかのプロにVtuberをやって欲しいとずっと思っている。何でもいいからスペックが高いVtuberをやって欲しい。

 

ライブは2日間開催で、私は1日目だけチケットが取れたので1日目だけ現地に行ったのだが、コロナの都合で現地のライブに行くのが久々で、数年ぶりに温かい飯を食った人みたいに感動した。私は自分が思っている以上に現場が大好きな人間だった。

人は音と光に弱いし、自分がいていい場所が好きだし、身体を動かすのは楽しい。敢えてパサパサした書き方をしたがきっとそんなものだ。

バックバンドが生演奏だったのだが、育ってきた界隈故か音量のデカい生演奏が最も良いものという感覚が強くある。もしかしたらこれは現場に行かないし音楽はyoutubeと無線イヤホンで聴く人にはない感覚かも知れない。

配信イベントはリアルイベントにどうやっても勝たないし、Vtuberはこの分野ではリアルに対してまだ不利しか背負っていないな、と思った。

 

Anime girlという言葉が私にとって便利

森カリオペが自分の事をAnime girlと自称する事がある。日本の画風で描かれた絵だったり、日本の文脈を纏ったり、日本のアニメに登場する二次元の女の子という意味だ。

英語でアニメはCartoonとかComicで、Animeは日本のアニメを指している。

私はVtuberが好きって言いたいけど、Vtuberってアバターを纏って配信すれば全部Vtuberであって、もっと正確なニュアンスで発言したいなぁとずっと思っていたのだが、自分が好きと言いたい対象は全部Anime girlでいい気がしてきた。Vtuberに比べてもっと抽象的な言葉だ。

例えば顔出しせずアバターを持つ歌い手も、桐生ココの中身として現役時代から並行配信していて桐生ココ引退後にVtuber化したksonも、配信しないがそれ以外Vtuber的枠組みで活動するVsingerも、VRCで会えるバーチャルキャラクターも、ツイッターで返事してくれるシャニマスのアイドルも、君の名は。に出てくる三葉も全部Anime girlで間違ってない。

いわゆる中の人の存在は問わないし、相互コミュニケーションの可否も問わないし、動くかどうかも問わない。

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英語のサムネだけど全編日本語字幕です。

 

ここでksonが上手く言い表せてない何かアニメっぽいものの方がいい、という感覚を言い当ててるのが多分Anime girlなんだと思う。

最大の問題は女の子しか指定していない事だが、まあ今後出てくるであろうノンバイナリーな語に置き換えればいいだろう。今まさに自分が指し示したいキャラクター達を指し示すのに一番近い語はAnime girlしかない。

 

ちなみに上記の事は日本人の私が勝手に言っているわけではなくて、英語圏のオタクたちにニュアンスを確認してあるので概ね間違っていないと思われる。

予定よりパッション重視になってしまったが、今後もAnime girlへの解像度を上げていきたいと思います。

 

スマホを家に置いてみて

この記事は、家にスマホを置いてきて公民館みたいなところで書いているのだが、こんな数時間のSNS絶ちでも思うところがある。

 

ここ5年くらいインターネット人間関係を増やす事に成功して、見た事思った事だいたい人と共有出来る(言うに適した人がいる)ような状況にあるのだが、人と共有し終わったトピックについてはあまり進展がなくなってしまうというか、その話した地点で認識が固定されてしまうように感じる。

例えば、上のリアルライブはホロライブが分かる友人に存分に感想を話す事が出来て楽しかったのだが、それ故にそこで自分が話した事そのままの印象で固まった気がする。(ホロIDは凄くてJPは一部を除いて大した事なかったし、リアルイベントという枠自体がまだまだ強いという感想)

私は妖精帝國というバンドが好きで、15年ファンをやっていながら語り合う友達は1人も作らないという状況を続けているが、妖精帝國の音楽や発言というのは昔のものであっても稀に私に示唆を与えている気がする。

 

この感覚に気付いた時、ふとタコピーの原罪の考察を極端に嫌う人たちの姿が浮かんできた。

なんでも言語化、なんでも固定、への忌避感ってこの進展がなくなって固められてしまう感じなのかと思った。共有って別に話し合う事だけではなくて、コメントが見えたりもっと遠い形で言及していたり、影響を受けた姿を見るだけでも共有だ。

何も寄る辺なく、ふわふわしたまま自分の中に保持しておく感じ、多分これが皆が咀嚼と呼んでいる行為なんかな。

 

世の中のコンテンツが何でも短く速くなって、活字は読めない、映画は一気に見れないとか、その手の言説ってあくまで短いとか速いとか時間的なものに左右されているのかと思ってたけど、他人と共有してる感があるかどうかじゃん?と自分の中では結論が出つつある。