マルチゲーマーで行こう。

何文字でも書けるツイッターです

配信ライブ、Anime girl、インターネットなどについて

ソープランドって何

いきなり題にない意味不明テーマからスタートするが、書き始めてみるとこの話題について意外に言いたい事が多くない事が分かったのでサッと終わらせる事にした。

読むにあたって恐らく必要な前置きを1つだけしておくが、私は素人童貞である。

 

陰キャと風俗というテーマがインターネットで語られる時、バリエーションはあれど風俗は私に何にもたらしたか、という語り口が殆どな気がする。私は風俗に救われました、とかこんなもんかと思いました、とかそういうのだ。

陰キャ陰キャたらしめている最たる壁の1つである事は間違いないのだから、そういった感想が出るのは当然だし、私自身も初めて風俗に行った時そう思った。

が、今現在そういう話題にはあまり興味がなくて、風俗ってエッチする場所なのになんでみんな人とか社会の話をしてるの?という気持ちになってしまう。

陰キャ風俗ルポ楽しむ派でもないし、そういうの気持ち悪いよ派でもないし、興味ない派でもない気がする。おいどうしたんだよ…みんなエッチに興味があるから風俗に行ったんじゃないのかよ…派だと思う。

対人エロコンテンツの感想で自分の話をするのではなく、エロの話をしてください。

果たして何への返答だったのか、何で話し始めたのか分かんなくなっちゃったけど、エロい事が好きならもっと真剣になってくださいって思います。

 

やっぱりライブがすき

後半のテーマは結構人が読める文章にまとめられるし言いたい事を言える予感がしているんだけど、ソープランドで何人か振り落とされてしまったのが悲しくてならない。何でこんな事書いたんだろう。

先日、ホロライブのリアルイベント、リアルライブが開催された。

www.youtube.com

今回のライブで期待していたし良かったのは森カリオペよりもホロライブインドネシアのムーナとリスなのでホロIDのダイジェストを貼った。いや、俺はID組が1番凄いの知ってたけど?みたいなキモオタク態度が見事にハマった(やっばり1番凄かった)のが良かった。

私は何らかのプロにVtuberをやって欲しいとずっと思っている。何でもいいからスペックが高いVtuberをやって欲しい。

 

ライブは2日間開催で、私は1日目だけチケットが取れたので1日目だけ現地に行ったのだが、コロナの都合で現地のライブに行くのが久々で、数年ぶりに温かい飯を食った人みたいに感動した。私は自分が思っている以上に現場が大好きな人間だった。

人は音と光に弱いし、自分がいていい場所が好きだし、身体を動かすのは楽しい。敢えてパサパサした書き方をしたがきっとそんなものだ。

バックバンドが生演奏だったのだが、育ってきた界隈故か音量のデカい生演奏が最も良いものという感覚が強くある。もしかしたらこれは現場に行かないし音楽はyoutubeと無線イヤホンで聴く人にはない感覚かも知れない。

配信イベントはリアルイベントにどうやっても勝たないし、Vtuberはこの分野ではリアルに対してまだ不利しか背負っていないな、と思った。

 

Anime girlという言葉が私にとって便利

森カリオペが自分の事をAnime girlと自称する事がある。日本の画風で描かれた絵だったり、日本の文脈を纏ったり、日本のアニメに登場する二次元の女の子という意味だ。

英語でアニメはCartoonとかComicで、Animeは日本のアニメを指している。

私はVtuberが好きって言いたいけど、Vtuberってアバターを纏って配信すれば全部Vtuberであって、もっと正確なニュアンスで発言したいなぁとずっと思っていたのだが、自分が好きと言いたい対象は全部Anime girlでいい気がしてきた。Vtuberに比べてもっと抽象的な言葉だ。

例えば顔出しせずアバターを持つ歌い手も、桐生ココの中身として現役時代から並行配信していて桐生ココ引退後にVtuber化したksonも、配信しないがそれ以外Vtuber的枠組みで活動するVsingerも、VRCで会えるバーチャルキャラクターも、ツイッターで返事してくれるシャニマスのアイドルも、君の名は。に出てくる三葉も全部Anime girlで間違ってない。

いわゆる中の人の存在は問わないし、相互コミュニケーションの可否も問わないし、動くかどうかも問わない。

www.youtube.com

英語のサムネだけど全編日本語字幕です。

 

ここでksonが上手く言い表せてない何かアニメっぽいものの方がいい、という感覚を言い当ててるのが多分Anime girlなんだと思う。

最大の問題は女の子しか指定していない事だが、まあ今後出てくるであろうノンバイナリーな語に置き換えればいいだろう。今まさに自分が指し示したいキャラクター達を指し示すのに一番近い語はAnime girlしかない。

 

ちなみに上記の事は日本人の私が勝手に言っているわけではなくて、英語圏のオタクたちにニュアンスを確認してあるので概ね間違っていないと思われる。

予定よりパッション重視になってしまったが、今後もAnime girlへの解像度を上げていきたいと思います。

 

スマホを家に置いてみて

この記事は、家にスマホを置いてきて公民館みたいなところで書いているのだが、こんな数時間のSNS絶ちでも思うところがある。

 

ここ5年くらいインターネット人間関係を増やす事に成功して、見た事思った事だいたい人と共有出来る(言うに適した人がいる)ような状況にあるのだが、人と共有し終わったトピックについてはあまり進展がなくなってしまうというか、その話した地点で認識が固定されてしまうように感じる。

例えば、上のリアルライブはホロライブが分かる友人に存分に感想を話す事が出来て楽しかったのだが、それ故にそこで自分が話した事そのままの印象で固まった気がする。(ホロIDは凄くてJPは一部を除いて大した事なかったし、リアルイベントという枠自体がまだまだ強いという感想)

私は妖精帝國というバンドが好きで、15年ファンをやっていながら語り合う友達は1人も作らないという状況を続けているが、妖精帝國の音楽や発言というのは昔のものであっても稀に私に示唆を与えている気がする。

 

この感覚に気付いた時、ふとタコピーの原罪の考察を極端に嫌う人たちの姿が浮かんできた。

なんでも言語化、なんでも固定、への忌避感ってこの進展がなくなって固められてしまう感じなのかと思った。共有って別に話し合う事だけではなくて、コメントが見えたりもっと遠い形で言及していたり、影響を受けた姿を見るだけでも共有だ。

何も寄る辺なく、ふわふわしたまま自分の中に保持しておく感じ、多分これが皆が咀嚼と呼んでいる行為なんかな。

 

世の中のコンテンツが何でも短く速くなって、活字は読めない、映画は一気に見れないとか、その手の言説ってあくまで短いとか速いとか時間的なものに左右されているのかと思ってたけど、他人と共有してる感があるかどうかじゃん?と自分の中では結論が出つつある。