マルチゲーマーで行こう。

何文字でも書けるツイッターです

おじさんと若者とTwitter

良い地位を得たものが分からない中年に対してものが分かる若者

セクハラの概念が分からない中年に対して若者

(一般に認識されている意味で)集団主義に対して個人主義

Twitterでは毎日、ものが分からない人への恨みつらみがバズったりとか、それを解決するために皆マンガを描いていたりする

大体自分の考える事は、それに関してもっと長く考えた人や勉強した人がいて、殆どの事はググれば誰かが先に考えてくれているし、よく考えることはみんなもよく話題にするし、自分があまり考えないことは話題にしない

当たり前の事だ

けど、自分がよく考える率に比べてあまり話題にならないと思う事の1つが、1番上の"最近のTwitterでの人間関係に関する関心事"に話題を戻して

直感的に伝わる事を信じて書くが、

何故"おじさん"は加害者で"若者"は被害者なのか?という話

例えばブラック企業サビ残を強制する課長おじさんと、新入りのサビ残を強制される若者にしよう。

後者は被害者である事は間違いない。

おじさんは悪。さっさと会社をやめよう。労基に駆け込もう。おじさんを○せ…

その話題について、当事者でないそれが悪い事であると分かっている人たち(比較的若い人が多いと思っているが)が話す時におじさんについて語る人は、自分が思うよりとても少ない

何が言いたいかと言うと、俺はおじさんに同じくらい肩入れをしたいし、理屈ではない若者の事を哀れんでいる場合ではない感がものすごくある

すっ飛ばして自分がおじさんをどう思っているか説明すると、この状況おじさんは何も悪くないし、もちろん若者は悪くない。誰も悪くない出来事はたくさんあるので理解して頂いたとして

この状況では、おじさんが不利で所謂"弱い"ものだと思う

ここに出て来るおじさんと若者は、あくまでみんなのインターネッツ意識が作り上げたステレオタイプなSerial ExperimentsおじさんとSerial Experiments若者である

という前提で、おじさんは今よりもものが少ない戦後をシャカリキに働いて乗り切った団塊おじさんか、5時に帰ってクラブで踊ってたけどちゃっかり勉強してちゃんと出世できたバブルおじさんという感じだろう

若者は、世論にいじめられて相対的貧困の中に置かれたけどインターネッツやらの情報を得て真理に迫る20代って感じだろう

自分の観点でSerial Experimentsおじさんのストーリーを考えると

「生まれてこの方信じる先人の教えに従って働いて、色々な経験を積みながら歳を取り、自分の哲学が完成されたなと思う辺りで課長になったら、唐突にブラック扱いされ始めた」となる

変化をやめたおじさんの自己責任だという考え方になると思うので、何故自分がおじさんに肩入れするのかの理由をもう1つ

先程どちらも悪くないと言ったが、敢えて言うなら時代がそうさせてしまったとは言えないだろうか。ではどこを正せば幸せになれるのか

時代は現代まで進んでしまっているのだから、根本的に解決するにはおじさんが時代に追いついて、サビ残はよくない。今までの認識を改めよう。となるしかない

ここでおじさんが何故"弱い"のか説明できる

おじさんは人生の殆どをおじさんの時代に生きてきており、それによって人間が形成されている。対して若者は殆どを現代に生きていて、インターネッツという影響力の高い新しいものを取り入れる事も若者の方が簡単なはずだ

この現代の問題に対して、問題そのものに気付き、解決する力が高いのは現代を生きる若者なのだから、この状況においてはおじさんが弱いのだ

という風に見ると、被害者はおじさんであると言えないだろうか

ここでおじさんを叩きまくって○すか、○ぬまで待つという解決(?)方法をとると何が起こるか

それは何故自分が実害を被りそうな若者側であるのにおじさんの肩を持ちたくなるのかに繋がる。ずばり、次のおじさんもその次のおじさんも同じ方法で生まれるはずだからである

人生の先輩に対して"弱者"を助けるというのは物凄い変な感じがするが、この観点で言えば、若者がおじさんを助けないと次は若者がおじさんになってしまうのだ

自分も会社にSerial Experimentsおじさんっぽい人が何人かいるが、その時抱く感情はもう、おじさん、○してあげたいなぁ…ではない。お前におじさんが救えるか…?

おしり