マルチゲーマーで行こう。

何文字でも書けるツイッターです

ヴェノム(映画)、百合、なろう小説、悪徳の栄え(倫理観、自殺、リョナなど)

何かタイトルがごっちゃりしているが、箇条書きでバシバシ片付けていく

昨日は信頼オタクにいっぺんに3人も会って、映画見て、面白い本を久々に読んで楽しかったので適当に書き残す

・ヴェノム

あんまり面白くなかった…

ちょっとホラーな感じとギャグは食べ合わせが良くて笑えるのは分かるんだけど、侵略者ヴェノムくんもフリー記者さんの話もあまり掘り下げられないし、適度にエイリアンして適度にアクションして適度にギャグして適度にアメリカン映画結末したら終わってました…

今回のヴェノムとスパイダーマンに出てくるヴェノムはずいぶん違うらしいので、そういう観点からは特に何もわかりません。

・昨今話題になった"百合(関係性に主眼を置いた方)"について、或るイトマキという人の話

ここからはイトマキ先生(5年くらいオタクと呼び続けていたが今日ようやくオタクトークを引き出せた)のお話と、それに対する俺の感想を並べておく

イトマキ先生のお話は大層なマシンガンで俺も興奮しながら聴いていたので、意味は合っているけど実際言った言葉とは全然合ってません

「関係性だけの百合、強い百合、エッジ、百合をやれ、などの百合は、BLでさんざんやり尽くされた事と全く同じ事をしているのに、何でさも新しい事のように騒いでるのか?」

そりりりり!!

自分は最近気付いたのが恥ずかしい限りではあるが本当にその通り

某バズ記事にあった、

轍の上に、錆びて朽ち果てた乗り物が置いてある。すると、かつてそこには2人がいたんだと……これはもう完全に百合じゃないですか。どういうわけか、草原って百合なんですよね。

抜き出しはズルなんだけども、ちょっと見逃して欲しい

ここから言いたいことは、この百合という概念は何も百合が最初にやったわけではないんじゃないの?という話

この概念に至るまでの百合の変化は多分BLでやられている雰囲気がするので、そこを歴史に学びたいなぁという興味

そして

「しかし、女性向け界隈は始まった当時の事情もあって、どう発展してどのような文脈があったのかあまり文献がない。体験してきた人たちから話を聞くしかないが、関わりもなければそもそも閉鎖的なので知りようがない」

「例えばジャニーズ、BL、R18みたいなタブー3つ重ねたようなワードでネットの海に飛び込んだとして、もう残っていないものが多すぎる」

わかる~!!

これに対して俺が思ったのは、商業BLは今より遥かに規制が厳しかった(厳しい)ので、そこから界隈の発展を読み取ることは無理だろうなあということと、とは言え同人創作や2chにあったものは残ってないしなあ…

ただ、コミケとかで〇〇の歴史(俺の興味の範囲で言うとエロ漫画の歴史本や、日本におけるヴィクトリアンメイド研究本)みたいな本は存在するので、BLにもそれに近い本があるのでは?と思いました。あるんでしょうか

という話でした

・なろう小説は紙に向いていない

小説家になろうの評価システムは歪んでいて、コンスタントに投稿している作品が上位に来やすく(書籍化しやすく)、その形式を取るには週刊誌みたいに短いスパンで"引き"を用意しなくてはいけないので、書籍化した時にぶつ切りになって面白くなくなってしまう」

なるほど~俺の知らなかった世界だ…

なろう小説は他のコンテンツよりも更にオタク・信頼・コミュニティが必要なんだなと思いました。本屋で手にとって選ぶのは悪手

・なろうのような異世界無双迎合の気味悪さを楽しむなら、pixivの男性向け小説ランキングを見ろ

「何年も俺ガイル関連作品が占拠していて、なろうの異世界乱立どころではない。もっと気味が悪いぞ(俺ガイルが悪いわけでは決してない)」

本当だ!やべえ!

確かにpixivに小説探しに行かないしなぁ…ツイッターで盛り上がるのは結構だけど、他にも社会はあるんだなぁ

・「pixivにおけるいいねの数は作品の面白さと比例しないので特に注意が必要である」

pixivの小説は女性向けが強く、また女性向け界隈は"良い作品かどうか"を基準にいいねを付けるわけではないため、当てにならないとの事。

このpixivの件は知らなかったけど、かなり色々なところで感じる。

これに関して特に言いたい事はないけど、百合の話題同様先輩オタクたるBL界隈への興味は尽きない…がBLそのものにあまり興味がないのはどうしたものか…

何か凄いことを話したわけではないけど、そもそもイトマキ先生のお話を聞いたのが初めてだったので話せて良かった

悪徳の栄え

個人的には大事な話なんだけど、やっぱり苦手な人もいると思うので無理して読む必要はない類の話です

以下、本のあらすじ(wikipedia)

修道院で敬虔な女性として育てられた主人公のジュリエットは、13歳のときに、道徳や宗教やらの善の概念は無意味だと言うある女性にそそのかされ、以来悪徳と繁栄の生涯を歩むこととなる。作品の全編を通して、神や道徳、悔恨や愛といった概念に対する攻撃的な思索が繰り広げられている。 彼女は自身の快楽を追求するために、家族や友人といった親しい人間までもをありとあらゆる方法で殺すのである。

名前こそ知ってたけど読んでなくて、LWさんに勧められて読んで、めっっっっちゃ面白かった。

以下普通の感想

・語りが長ったらしい

微妙に違うけどほぼ同じ事を何度も言うしやるので長い

・当時に書かれた事が凄い

こんな事書いたら捕まって発禁になるような時代にこういう事を考えつく人は凄い。ほんまに凄い。

・翻訳が妙で面白い

これも凄い方が翻訳されたそうで、60年も前の本なのにある程度すんなり読めたのは翻訳のおかげもあると思う

・ジュリエットがスーパーカッコいい最悪最強美少女ヒロイン(ヒロイン…?)

最高。これから悪徳の栄えのジュリエットみたいな~を使いまくる。

↓LWさんの当時の感想↓

18/1/25 マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」の感想

取り敢えず勧められた本人の感想なので載せてみた…

社会規範という言葉が目についたのと、LWさんがよく自分のことを「倫理観が終わっているので~」と言うんだけど(よく言ってるわけではないかも)、冗談なのかも分からないし内容を聞いた事もないので、まず自分が簡単に文にしようと思う

倫理観とか規範って好きなものと密接に関わってて、それで信頼オタクが増えるなら見れた方がいいなーと思ったため。時間が経てば変わるだろうし後から見れるし。

・自分の倫理観

早速だけど本当は倫理観ではなくて、自分の哲学とか価値規範と呼ぶべきなのかも知れない。けど知らないものは分からないので取り敢えず倫理観として書き進める

書く気になったのは、悪徳の栄えを説明の始めに持ってくれば簡単に自分の倫理観が説明出来るから。

マブダチLWさんのまとめをありがたく拝借させて頂く

悪徳の栄えでは大小様々の悪人が登場し、彼らが悪徳の限りを尽くす理由についてそれぞれの見解を述べる。しかし、そのキャラクター数と演説に割かれるページ数の割には、主張のバリエーションはそれほどない。

細部こそキャラクターによって異なるが、「悪徳は自然の意向であり、それを行使することはむしろ道徳的行為だ」という前向きな悪意観が通底している。ノアルスイユに言わせれば、人間には生まれた時点で個体による力の差が存在していること自体が力の行使を自然が肯定している証明であり(本当に暴力を排除したいと思っているのであれば平等な力を与えるはずなので)、強者は自然の意思に従い力による快楽を享受するよう努力すべきだという具合になる。

また、それと対照して社会的な価値観の脆弱さが定期的に語られる。社会規範は便宜的に発生した地理依存性の高いものであるから自然の意向とは縁遠く、それによって禁止されている殺人や淫行を躊躇する必要は全くないということだ。

自分はこのノアルスイユの考えに全面的に賛成で、もう1つ説明しやすくするために付け足すと、

あなたは何のために生きていますかと言われたら今は、自分が喜ぶためだけに生きていますと答える

ノアルスイユに全面的に賛成なのに、普通に法律は守るし、特に悪い事もせずに美しく過ごしているのは、

自分の抱える悪徳を実現するために社会規範を破ってしまったら、悪徳に従う喜びなんか吹き飛ばすくらいの報いが待ち受けているから、である

では一瞬の快楽のために罰を甘んじて受けられる者は、快楽のために何をしても良いのか?と言われたら、その通り何をしても良い。極端な話をすれば自分は死ぬのが恐いから人を殺さないだけ

ノアルスイユは無敵なので悪徳を全部解放出来るが、自分は弱いので、報いを受けるリスクが、自分が自分勝手に喜ぶための悪徳から得るリターンを超えないように過ごさなくてはいけない

社会規範にめちゃくちゃ縛られてるやんけって話だけども、自分は勿論縛られている。ノアルスイユの考えはあくまで理想、考え方のスタート地点であって、今自分が生きている場所は殺人や淫行が許されるほど人間同士の間に力の差がないように先人達が頑張ってルールや思想を整備してきたため

例えば、何も持たない原始人の男5人が無人星にいたら、喧嘩して4人殺して全部奪ったやつが優勝。お腹いっぱい。1番幸せ。間違いない

時代が進んで社会がどんどん複雑で大きくなっているので、10分多めに寝たいというささやかな悪徳(自分勝手な幸せ)さえ、遅刻して信頼を失うという報いの方が大きいというだけ

そして報いは外から受けるものだけではなく、自分の良心の呵責も含まれる。

大半の人が良いことをするのは、良心の呵責の心配もなければ、報いも受けないからである(受ける可能性はあるが)

この考え方を元にいっぱい枝葉を付けてかなり長い間過ごしているので、物事に対して納得出来なくて困った事はないけど、如何せん説明が下手だったり流石に例や掘り下げがなさすぎると思うので分からない事があったら聞いてください

実は一言性悪説、と言えば済む話でもある…

・鮎喰響

と、いきなり今期最強っぽいキャラクターの平手友梨奈演じる鮎喰響の事を書く

上で述べたように、自分の倫理観にぴったり合った行動をしてくれるので鮎喰響が大好き

響って力が小説だから何か良い事してるように見えるけど、ただの特権を振りかざした暴君よね。現実では出来ないような悪意と自分勝手を撒き散らして何の報いも受けないから最高に気持ち良い…

響ってノアルスイユですよね…という説明が出来るようになったので悪徳の栄え良かったなぁ…

・LWの自殺を止めるなについて

18/9/4 自殺を止めるな!

俺が何か言いたいはずの話だったのに何か流れてしまったので

言いたかった事は、(響と同じように)自分の気分が悪いので死ぬなorあなたの事はあなたが決めて下さい

LWさんは暴力性に無自覚な人に怒っているんだけど、個人的にはあなたがしたい事は自殺の感想戦なのでやって頂いて結構ですが、報いとしてその暴力性の無自覚さに怒っている例えばLWさんのような人たちに軽蔑されるでしょうね、という感じかな…?

行動の結果は同じになりそうだけど、他人を踏んづけて自分の利益を得る事の暴力性自体を自分は肯定しているし…でも忘れたわけじゃないからいいのかな…?

・リョナについて

弁明、布教の類ではなくて、主に一部の知り合いに向けて、どこかで一度リョナに対しての認識を一段だけ持ってもらわないと何かとやりづらい(話しづらい)なと思っていたので、書く

まず、自分は別にリョナをおかずにしているわけではありません

というわけで、そういう汚い話は彼方に飛んで行きました。そういう人も世の中にはいますがそのタイプではありません(実際猟奇オナニーの略称ではありますが、本来の意味は殆どなくなっています)

では何が楽しくて女の子が酷い目に遭う話を求めるのかというと、その理由の一端を、悪徳のお手本たるノアルスイユが本の中で言っています。引用は楽でいいですね

幸福とは、現実的な快楽から生じるというより、むしろこうした種類の比較から生じるものだからな。(中略)不幸な人たちを眺めて「おれは彼らと似ていない。彼らよりもずっと幸福だ」と考える方がはるかに気が利いているだろう。わしらに快楽を覚えせしめるものは、他人からの剥奪だ。わしらと同じくらい楽しい思いをしている人たちの間では、わしらは決して満足を覚えないだろう。だから、幸福になるためには上を見るな、下を見るべしという言葉には、多大の心理が含まれているのだよ。

とまあ簡単に言ってしまえば、人を見下す事は物凄く幸福だと言っているわけです。

自分はノアルスイユに賛成ですから(ツッコミどころは多々あれど)、同じように人を見下す幸福がよく分かります。

悪徳のエネルギーをあまり使わなくとも幸せになる方法を色々工夫して過ごしていますが、やっぱり本来は悪徳をストレートに放出した方が幸せなわけです。

それを空想の世界で力いっぱいやるのがリョナなわけです。

と説明すると、自分はただのグロ画像は人並みに嫌いだし、ホラーも好きになる理由がないし、相手を下に置くツールとしてエロを使ったとしても、自分がそれに性的な興奮をするわけではない、という話もまとまるかと思います

大事な補足ですが、リョナはひじょーーーーーに幅広いジャンルで、まさに千差万別状態です。今の説明はジャンルのごく一部に過ぎませんので悪しからず

疲れた

おわり