マルチゲーマーで行こう。

何文字でも書けるツイッターです

Keep moving forward.

何か久々にタイトルっぽいタイトルが浮かんだので付けました。高校生~20代前半くらいは毎回ブログのタイトルに何かオシャレそうなタイトルを用意していた気がします。

 

前に進み続けろ!みたいな意味です

俺の人生全1アニメであるRWBYの(それとRWBY原作者の故Monty oumの)大テーマであり、今最推しVtuberであるMori Calliopeちゃんが先日の配信で割と熱く人生観を語っている時にも出てきました。

 

とか言って、流石にどの動画のいつ言ったかまでは覚えてないので、似たような事を言ったシーンを発掘してきました。

 

「最近忙しかったから、この配信の後何日か休むけど、私は休むとちょっと不安になるのよね。」とカリオペちゃんが言うと、コメント欄が、

"心配しないで俺達ずっと待ってるしゆっくり休んでよ!"

"他のVtuberにも負けないように俺達応援するよ!"

とファンたちの仲間意識が高まり盛り上がった瞬間

 

f:id:hifumi_jus:20201031235732p:plain

"私のライバルは私だけ。他のみんなはただの友だちよ"

 

ハワ……(絶対信頼)(一生宣言)(死神降臨)(童貞懐胎)

 

 

サイゼミ機械学習回の感想

このブログではおなじみサイゼミ…と言いつつ実はちゃんと説明した事が無いので何となく説明しておくと、LWさんのブログを読んでたり、知り合いだったりする人が、何か興味あるお題を持ってきてみんなでトークしたり勉強したりしましょうみたいな会です。

LWさん本人がゆるい集まりと言っているのでゆるいと言いたい所だけど、これをゆるいと言ってしまうのは取り敢えず謙遜しとく悪い日本人みたいで嫌なので、まあ実はそれなりにモチベーションのある人が集まってやる大変ありがたいイベント、というのが実態です。いや、そうだと私は思っています。

ゆるいというのは参加スタンスの話で、別にテーマに興味がないなら行かなくていいし、別に何の前準備もせずに行ってもいいし、座って聞くだけでも誰も咎めないし歓迎しているという意味でゆるいです。実際今回の機械学習回でも一切ノー勉で来た人いたしね。

とりわけ今回はお題持ち込みがLWさんで、数Ⅱ・Bも怪しいくらいの人にディープラーニングを説明して理解してもらう事は可能か?というのが彼のモチベーションだったので、ノー勉の人がいる事はむしろ歓迎すべき事だったわけですが。

 

概要はこの辺にして今回は個人的な感想を。

来てない人には意味不明な部分もあると思うがご容赦頂きたい。

 

・思ったよりディープラーニングはコンピュータの計算パワーのゴリ押しだった

これは前日夜に予習を終えて(予習していた理由は、まあノー勉向けにやるとは言え理解出来る保証はないし理解して帰りたかったため)したツイート。

めちゃくちゃかっ飛ばして説明すると、値を入れて、値を返してくるのがディープラーニングのやってる事。値に出来ないものは扱えないし、値を入れると言っても基本的に大量のデータが必要。

何かスゴイ事をしてる、というイメージから、マジでコンピュータが本気で計算しまくってるだけ。という認識になった。

 

・"AI"には2010年代に革命が起こっている

俺は、何かAIで動いてて人の話すことを学習してるらしいペッパーくんと、ディープラーニングしてるらしい将棋ソフトの違いが分かってなかった。

それは、時代とともにコンピュータの性能が上がったりして、ペッパーくんを複雑にしたものが将棋ソフト、ではないという事が分かった。

これは雰囲気でAIを語る奴と差が付く第一の壁じゃないかなと思った。

 

機械学習が全部数学で出来ているので、偏微分、合成関数の微分などは避けて通れないのかと思ってた

が、実際にはそれを通らずにニューラルネットとは、敵対的生成ネットワークとは、強化学習への応用とは、までを説明していた。

これはLWさんも言ってたが、もしかするとノー勉勢の生徒のみんなが賢かったのもあるかも知れない。

俺は家で必死に対数の微分だとか機械学習の基礎的な理論を予習しといてそれが理解の助けになり、何とかついていく事が出来たという認識。

 

・結局AIの限界ってなんですか?シンギュラリティってまだ来てないんですか?

これはサイゼミの資料にLWさんが色々書いてくれていたのだが、俺が興味を持ったのは2つ。

1つ目、創造の限界。以下資料を引用。

6.3. 創造の限界
・生成で絵や曲が作れたとしても 、学術的な新理論や新ニューラルネットそのものは作れない
・流れに沿ったバリエーションを作ることは出来ても根本的な新規性を提出することは出来ないのではないか
・学術分野における研究発展そのものをAIが代替することは考えにくい
☆LWメモ
・これが定量的な問題に過ぎないか本質的なボトルネックかはよくわからない
・値で表現さえできればもうニューラルネットの領域なので、高度に概念的な操作に対してどういう値の表現を与えるかが多分本質的な問題だと思う

 これも別の人がもっと有益な議論をしてたような気がするんだけど、自分の感想としては、新規性があるかないかって多分人間が決めるので本質的なボトルネックだと感じるんだけど違いましたっけ…?

2つ目、欲望の欠如。

6.5 欲望の欠如
・AIは与えられたタスクは上手くこなせるが、与えていないタスクはこなせない

・人間は明らかに誰からも明示的に指示されないタスクをこなしている
・この限界によって「進歩したAIが人間に反逆し始めた 」みたいなよくあるSF設定は眉唾
・人間がAIにそういう設定をしてそういう武力を与えれば有り得なくはない(AI崩壊)
☆LW メモ
・LW的にはAIの限界として最も興味深い観点、シンギュラリティのボトルネックもここだと思う
・欲望=内発的な目的性がどこから来るのかは典型的な哲学の問題
フロイトラカン精神分析における無意識概念、それを援用したドゥルーズガタリボードリヤールの消費社会論、マルクスの予想を超えて暴走を続ける資本主義などなど
・サイゼミ第4回でやったオートポイエーシス理論は 、傍観者の客観性しか持たないAIへの対立項として当事者の主観視点から内発的動機を扱える生命の理論を作るというポジションがある(西垣通が『AI原論』で言及)
・ただし、実は人間も人生を通じて何らかの誤差関数の最小化をしているのかもしれない

AIの事を学んだ結果、ここに戻って来られたのは個人的にとても良かった。SFを楽しむためにはここに戻って来る必要があったので。

最後の太字、LWさんは誤差関数の最小化の結果が人間の欲望だとは考えたくない派だそうでそこは意外だった。

分かりやすく言うと、外部から刺激が入ってきてそれに対して神経細胞が電気信号を出して何かの関数の閾値ニューロンが発火するかしないかが決まって、発火したら神経伝達物質ドーパミンとかなんやらが出て、それで人間が動くというのが欲望の正体、と考えるかどうかという事だ。

自分は割と、人間が関数で動いてる実感(実感??)があるので、AIに欲望がないと言うよりは、人間もAIと同じで入力があって複雑な処理があって出力をしているだけだよなぁと思う。その入力から出力の間に意味を見出す事が出来ないのはAIと同じだ。

まああの場で話していたように、そもそも人間の脳の方がまだまだ未知の事だらけで、上に書いたニューロンの発火で~みたいな話も人間の全容を語っているわけでは全くないので、信仰の問題でしかない。

もしかしたら人間の欲望は関数なのかも知れないし、そうじゃないかも知れない。

ハーモニーって小説が面白すぎるだけかも知れない。(突然の告白)

 

among usについて

こないだ話題の宇宙人狼を10人でやりました。とても楽しかった。正直な感想を。

 

・マジで面白い。discordのbotは導入しろ。

面白いです。人を集めてやる価値がある。

 

人狼ゲームで懸念される、初心者がゲーム全体を壊してしまう可能性が低い。

これはアクションゲーム要素が強く、誰を釣るか決める議論フェーズの重みが低いからだ。これは確かに、among usを人狼と呼ばないで欲しいと言う人がいるのも分かる。

そして、個人的に人狼ゲームが嫌いだった理由である、人狼ゲームの前提が共有されてない者同士でゲームをすると負ける以前にそもそもゲームに参加出来ない、という問題もまあまあ解決されている。

対戦ゲーム寄りならそれでも問題ないが、パーティーゲームと認識されているのにゲームに参加出来ないゲームは本当に嫌いだ。

 

・またやりましょう

これを読んでいる人は自分のツイートもある程度読んでくれていると思うが、この10人回はかなり好評だったと思っていて、お世辞ではなくまたやりたいという声を結構聞いているので、今度食事行きましょう的なお世辞ではなく(重要なので)またやろうと思っています。

 

自分の意思で何かを頑張れない自分

最後に自分語り爆弾を投下して終わろうと思う。

きっかけは確か、ひふみはあんまり三日坊主じゃなくない?いや俺は自分の事をめちゃくちゃ多動タイプ(発達障害界隈で頻出する単語。落ち着きなく飽きっぽくて集中力がなく、同じ事を続けられない人。)だと思っているよ、という話だった。

自分から見た自分は、例えばプロゲーマーを10としたらゲーマーとしては3、音楽オタクとしても3、学術的な能力も3、映画オタクとしても3、ブロガーとしても3、スポーツも3…みたいな感じで、いかなる分野においても3までしか到達した事がない。人数比で見れば5や7なのかも知れないがそういう事が言いたいのではない。

その3という壁は、本能の赴くまま、ある分野において0の人に3で上回るのは楽だし、新しい刺激は何でも楽しいから自然と3で止まるだけで、3以上にしようという意思もなければ、3になったらその分野から逃げようという意思もない、結果的にこの形になってしまっただけ。

だから、自分の意思でこれを8や9にしようと思って8や9を目指せる人がとても羨ましいし、自分は7くらい分かってますよみたいな見栄を張ってしまう。こうして3を量産するしかない人はどうやって生きて行くのがいいんだろうね?というポエムだ。

なお、3と10を比べているのが問題なのでは?自分のライバルは自分では?という反論は片手落ちだ。他者と比べずとも3の壁をずっと超えられていない、つまりずっと自分の意思で行動出来ていないので成長がないという思いが大きくて、凄く恥ずかしい。

 

これに対して、「自分は○○が好きとかやろうとか一切なくて、ただ中毒的にやっているだけだけどね」という言葉と、「3でも0を上回ってるんだから価値はある物だと思うよ」という言葉は結構な支えになってくれそうだ。

前者は自分の認識では複数の分野で8とか9に到達している人なのだが、そのスタンスでも8とか9に到達出来る事実はありがたい。そうやって無事生きている人もいる。

後者は確かにその通りだ。その分野において0の人というのはそこにいないんだから、3が0より優れている事を認識出来る事はあまりない。

見えもしない3から10の間の壁を眺めて憂うのと同じように、見えもしない0を見下ろして3まで来たと思い込むのはまあ出来なくはないんじゃなかろうか。

 

そんな事を思って飯屋を出たら、みんなが明日マーダーミステリーをやりたいとか言い出したので、0のみんなは雰囲気で明日集まればまあ何とかなるやろみたいな空気感だったので、マーダーミステリーの事を3だけ知っている俺は簡単に説明をして、明日卓を立てる事になった。

3を量産して、それを0に誇るだけでもちゃんと前に進んでいたらしい。Keep moving forwardや。