あほな人間でも取り敢えず寝て起きてれば考える時間が積み重なって、偉い人が言ってる事が少し分かるようになる
自分が何か成長しようとした時とか、プレッシャーに勝とうとした時、続けるモチベーションを用意する時、何でもいいから人と比べる何かをしようとした時に、考えてた事は挑戦者でいる事
成長って言うとぼんやりしてるから強くなろうに言い換えると、挑戦者でいれば強くなるしかない。挑まなきゃいけないから
自分がプレッシャーを感じる時は何か守るものがある時(大事じゃなかったりするんだが)
挑戦者でいれば失うものはなくなる
やる気がなくても競争心から来る悔しさがあれば奮い立つ事が出来るし、王者がいる限りそのトリガーはなくならない
そういう考えで殆どの事を乗り越えたり諦めたりしながらやってきたけど、挑戦者という事はいずれ王者になる意志がある事の裏返しで、つまり自分もいつかは王者になる時が来る
王者とは言わないまでも、お山の大将くらいになる機会はこれまでにもあって、どうやっても挑戦者の気持ちにはなれない事があった
お察しの通り、挑戦者精神でやってきた自分はそういう環境では何も成長しなかった
他の事に対して挑戦者でいる事で何とか誤魔化していた
すると当然こう思う
自分は挑戦者でいる事で全ての原動力にしているのだから、王者にはなれないのでは…と
「勝ち続ける意志力」
皆さんご存じ、梅原大悟が書いた1番で居続ける方法が書いてある本
はー1番で居続ける人は凄いなぁ、なれたらいいなぁ
という感想だったのだが
それじゃ自分はどうやっても1番になれないじゃん!
人それぞれ自分なりの考え方ややり方なりがあって、自分のそれは"挑戦者"なわけだけど、この道の先に1番はないなぁって
父親はいろんな事が出来るようになりなさいって教えを持ってて、自分の中にしっかり根付いてるんだけど、それは1番に目指さない免罪符ではないし、勿論そういう意図はないだろう
自分で作ってきた挑戦者ってやり方と、いろんな事をやろうって考えの合わせ技は、実は楽に過ごすための方法だったんだなぁって思えてくる
いや、今気持ちよく生きていられればそんな事を考える必要はないし、考えずに過ごしてきたけど
ふと、今は亡き厳しい母方の祖母が小1の入学記念に色々送ってくれた時に同封されていた短い手紙を思い出して
一方母方の祖父は無口な人なので確か、大事に使ってねとかそんな感じの手紙をくれて、父方の祖父母ものびのび方針だったので特に何も言われずに今まで来ている
そんで本題の母方の祖母の、最初で最後の手紙は
「一番になりなさい」
たった一文の教え。小学校入学したての俺に
お祖母さん、1番になるのは2番から1つ上がるより1000倍は難しそうです
でも
偶然にせよ何にせよ、長く生きている人はその年数分考えた事をきちんと教えてくれたんだなーと
1番で居続ける事の難しさが自分の脳みそで結論付いた、そんな帰りの電車