ひふみです。タイトルの通りです。
我が混沌のサバト・マリアージュを聴いて(過去記事)ミリしらで適当な事を書いてから約7ヶ月後の、今から1週間前。
私はST@RTING LINEを一通り試聴して、その中でハマった数曲を購入し、2nd Liveを観て、
Altessimoに心を奪われてしまいました。(唐突)
即日、Altessimoソロ曲、3rd Anniversary(とユニットコラボ曲など数点)を購入し聴く。
翌日通称モバMを開始し、現在解放可能なアルテ関連雑誌、イベント等を大まかに読了。
一部ライブパンフ、誌面インタビューなどを読ませてもらい、今日に至る。
サバトしかり曲が大好きなので、主に以下の曲の事を書きます。
Sanctuary World、Echoes My Note
Never end 「Opus」
The 1st Movement ~未来のための二重奏~
Tone's Destiny
楽曲を聴いて、それから気になったストーリーを見ていき、この順番が適当かなと思いました。雑誌やイベントなどを解放順にゆっくり見て、発売順に待ちわびた楽曲を聴いたPの皆さんとは認識が違うとは思います。
カードのセリフなど、まだまだ把握出来ていないものもありますので不完全だとは思いますが、お付き合い頂ければと思います。
Sanctuary World、Echoes My Note
広がりを続ける暗闇
どこまで行っても
暗そう。
都築さんはPに名刺を渡され、植物、動物、人間、色々な音が耳に入る中、自分がアイドルになる事について考えてみますがピンと来ず。
声を掛けられて…というよりはずっと前から今に至るまで、暗いままのようです。
真珠も星も路傍の石も 同じよう
五線の上でいつしかサイレント
すぐそこにある美しいはずのものも、手の届かないものも、ありふれたものも何一つ、音楽しかないはずの都築さんに音を与えてはくれませんでした。
いつしか…ですから、徐々に失っていったのでしょうか。真っ暗で無音。
足を止めて 不意に気付くまで
葉擦れの音色がこんなにも
胸のなか ひびくこと
ずっと…忘れてた
傍から見ればただぼーっとしているような都築さんはふわふわと流れ続け、葉擦れの音に気付きました。
葉擦れの音なら、公園で幾度となく聴いていそうですが。
ほらいつだって聴こえる 鳥の羽音さえずりが
今朝止んだばかりの雨に濡れた 木々たちの呼吸が
なにも怖がらずに耳澄まそう
そっと胸のなか…ひびくように
こだました世界と想像つながって
よろこんだ心が言った“奏でたい”
湧き出したまま歌う
麗さんは立ち止まり、自然を聴き、楽譜などなくとも見事に演奏します。
頭で考えた音を鳴らすのでもなく、こだまのように感じたまま跳ね返すのでもなく、その嬉しさをただ拾い集めて歌っているのだと言うように。
嬉しいとこぼれる 不思議な音色
また生まれてゆく
Echoes My Note
心でこだまし、跳ね返ってこぼれたものを音にしているのですから、自分でもどんな不思議な音が出るのか分からないのかも知れません。
歌うとは書かれているものの、Noteは音符、楽器の音ですから、まるで自分の体の一部のようにバイオリンを弾きこなす麗さんが浮かんでくるようです。
音感もないし演奏もした事がない自分にはとても理解出来ない感覚ですが…
閉じこもってしまえば どんな傷も知らず済むけれど
でも孤独な音色は冷たい 誰に寄り添えもしないから
誰もいない孤独な世界は静かで、うるさいよりは心地良いだろう。誰もいなくても自然はそこにあるし、音も生まれるでしょう。
しかし、人に寄り添えない音は冷たいと麗さんは知っています。
背中預けながら爪弾こう
それが変わるだろう…ぬくもりに
そこに背中を預けられる人、信頼出来る人がいれば。
そうすれば、冷たい音は暖かく、人に寄り添える音になると。
雪の下 蒲公英が寒くないように
ピチカート おどけた曲を奏でよう
誰かに寄り添えるような曲を奏でられるように。
寒そうにしている、孤独なたんぽぽに向けて歌う麗さん。
ピチカートはよく耳にするバイオリンの長い音ではなく、ぽんぽんと琴のようにバイオリンの弦を爪弾いて出す短い音です。曲の方でも、弾むような楽しげな音が聴こえます。
大袈裟じゃなくていい
ささやかに目尻下げて うなづくだけの仕草で
一番の拍手だって思うから
麗さんの楽しげで暖かい音でたんぽぽに被さっていた雪は溶け、顔を出し、ぱっと花開きます。
小さくて派手ではない花ですが、花開くと僅かに端が垂れ下がって、ちょうど微笑むような…
麗さんが咲かせたたんぽぽが、私には見えたような気がしました。
奏でよう 見つけたセカイ
表せるかな? 今日の目映さを
どこからか葉擦れの音が聴こえ、表せるかな?と少し不安ながらも、それを遥かに超える期待に溢れているような。
一気に明るい曲調になります。
目映い、ですから、ただぱっと明るくなった以上に眩しかったのでしょう。
不思議さ ああ 先急ぐように
感情の芽が 歌になってゆくよ
Echoes My Noteでも麗さんがこぼれる音を不思議に思っていましたが、都築さんもひとりでに歌が出てくるようです。
なんてサンクチュアリ
Rebirth My World
聖域…言葉では言い表せないような素晴らしい気持ちになったのでしょう。
一度死んでしまって、もう戻らないかと思ったセカイが還ってきたような。
少し話が逸れますが、最初から明るく演奏している麗さんは曲名からEchoes My Noteですが、途中からぱっと明るくなる都築さんの曲ではRebirth My Worldはこのサビの最後で初めて登場します。
2人の間の微妙な時間の差を、曲の中で似た言葉を出すタイミングで表しているところに、ソロ曲でありながらお互いが強く結ばれている様子が見え隠れしている気がして好きです。
心動く揺れが 苦手になった そんな錯覚で
眠ってる海月のフリを していた
五線の海で 呼吸ピアニシモ
しかし、まだ完全に明るくなったわけではなく、また海月のフリをしてふわふわと漂います。
ピアニシモ…サイレントよりはマシです。
何度目の朝 カナリアの声で
確かな旋律届くまで
胸のなか ざわめいた
やっと…見つけたよ
何日も経ったようですが、確かに旋律が届きました。
さて少し戻りますが、最初に都築さんの胸に響いた葉擦れの音は何だったのでしょうか?私は、麗さんがただ自然のままに弾いていたバイオリンの音だと感じました。
ここでは、都築さんがカナリアの声をきっかけにやっと何かを見つけた…
カナリアはピーーという長い音よりは、ピピピピピみたいな凄く短い鳴き声を出すことが多いです。
葉擦れの音はサーーみたいな連続した音で、バイオリンはそういう連続した音を出すことの方が多いですよね。
Echoes My Noteでたんぽぽが雪から顔を出した時、誰かに背中を預けてピチカートで弾いていました。
光が当たっても雪は一瞬では溶けません。たんぽぽのために弾いたピチカートが、閉ざした雪をゆっくりと溶かし、久しく顔を出したたんぽぽには光が目映い…
Melody is Ray…
Melody is Life…
Rayは光で、Lifeは命です。
もう言葉の持ち合わせはないです。
吹き込もう 埃かぶり
褪せたメロディ そこに命を
冷えた指で触れた白と黒
さえずりに ただ 並んでみたくて
柔らかなリズム こぼれた
長い間暗闇にいて褪せてしまい、曲を作れはするものの生きていない冷たい曲だったけれど
カナリアに並びたくて、奏でるでもなくこぼれてきます。
あらゆる機微
押し寄せる思い
もう一度 今 届けてみようか
都築さんが失ったと思っていたもの、音があふれるような気持ちを"届け"ます
奏でよう 見つけたセカイ
表せるかな? 今日の目映さを
不思議さ ああ 先急ぐように
感情の芽が 歌になってゆくよ
1番と同じ歌詞ではありますが、ただ麗さんからこぼれた美しい音を聴いた時よりも、更に明るいように聴こえます…それは曲の方に変化があって、
1番の同じ箇所とバイオリンの演奏はあまり変わらない中、ピアノは凄く楽しそうな演奏に変わっているんです。
麗さんはこの時もただ心のままに音を出していて、けれどその光は都築さんにこんなにも届いてるんだというように感じられました。
音までも全てが2人のために作られてるんだなーって…当たり前ですが…
つがいの羽
見守る日差し
なんてサンクチュアリ
Rebirth My World
Music is Heart…
楽曲が2人の生い立ちをそのまま描写しているとは思いませんが、事務所で劇的な出会いを果たしてから、都築さんはまだ完全に
一組のユニットになれたとは感じていなかった。
なのでここでようやくつがいの羽、なんだと思います。
こだました世界と想像つながって
よろこんだ心が言った“奏でたい”
湧き出したまま歌う
この声を受け取るとき そこに笑顔があるように
願いながら My Note 届けたい
Melody is Heart…
ただ、心がこだまするままに弾いていたEchoes My Noteと、暗闇が開けたRebirth My Worldには微妙な時間差がある気がすると書きましたが、ここで2人が本当に並んだような気がしました。
・Sanctuary Worldはとても明るい曲
今回5曲を選んでいますが、Sanctuary Worldってピアノの曲調とか速さとか、5曲のなかでも1番明るい曲に聴こえるんですよね。
お話的には、もっと後の事を描いたTone's Destinyの方が明るいのもアリじゃないかと思うんですけど、それくらい麗さんと出会った瞬間の都築さんは嬉しかったという事なんじゃないかなと思っています。多分ピアノで1番高い音が聴こえるのもこの曲な気がします。
雑誌でもあんなに喜んでいる都築さんが見られるのはここだけですし。
・出会う瞬間の話
葉擦れの音とカナリアの話は若干曲に乗っている事を飛び出てる気がして、今も結構勇気を出して書いてるんですが(CDのドラマパートで実際の当時は麗さんが歌ってそれをブースで都築さんが聴いていた、と言っている)
都築さんが事務所に行って麗さんの音を初めて聴いた時、アイドルとして歌うだけなら要らない気がするけど麗さんはバイオリンを持ち込んでましたし、都築さんもスタジオなら何かピアノとかキーボードとかを弾くことも出来たはずなのに歌ってましたから(埃かぶったメロディに命を吹き込むのは出会って何度めかの朝)、アイマスシリーズはメディアの違いで設定が異なる部分がありますし、そういう可能性も残しておいてくれたのかな~なんて前向きに考えてみたり…
Never end 「Opus」
この手もココロも段々と穢れてゆくようで
紙上で歌う指先 声を失ってた
Echoes My Noteでは麗さんがアイドルになる前の話はほぼ出てこない、としているのですがOpusでは出てきます。"金の亡者に負けた"時の話です。
都築さんはアイドルになる前も何かしらの曲を書いてはいましたが、その曲には自分の心が入っていない。そんな時のことです。
悪意に打たれG線を切っても 満たされなくて
流されるままに過ごしても 求めてた
(Good bye my heart)
…確かな音
G線はバイオリンで1番太くて丈夫な弦ですから、思う限りの大切なものを捨てようとした悲痛な思い、聞いた事のない醜い音も鳴ったかも知れません。
都築さんは音楽を続けるもののどうするでもなくただただ流れる…
めぐりゆく日々のなか 迷子のアイデンティティ
それでも失くせなかった"音楽"
麗さんは誰も聞いていなければ良い音を出せるのに、という思い。都築さんも恐らく作曲を続けてはいるが、いつか出会った女性と奏でたような音はもう長い間聴こえず…
2人に共通していたのは、正体の分からない"確かな音"を求める事と、
大切だと思っていたものを捨ててみても、何もせず流れていても失くならない"音楽"
孤独に咲いてた 旋律が出逢うとき
新しい楽譜 -ゆめ- 開いたんだ「Op. Hello」
(Hello, New Dream!)
2人は各々迷う中でも、音楽をやめる事はなく、遂に出会います。
孤独だったとはいえ、片や良家の演奏家、片や有名作曲家ですから、知り合いがいない…という意味の孤独ではなかったと思います。
ただ、だからそんなに悲しくないとは言い切れないと思います。
普通人間は言葉によってお互いを理解しますが、彼ら(特に都築さん)にとっては音楽は言葉よりも深く理解し合えるものなのだと思います。
人間が喜びを感じるには色々なものがあると思いますが、その内の1つ大きなものは"お互いの思いが伝わる事、理解してもらう喜び"があると思います。当然分かり合えず決裂したりすれば悲しいわけです。
例えば、同じものを食べた時にお互いに"おいしい"と分かる、よりも、お互いに"辛いけどおいしい"と分かる方が嬉しいのではないでしょうか。
1つの物事に対して、一度にたくさんの事を理解し合うというのは、難しいけれどより喜ばしい事だと思います。
敢えて普通という表現をしますが、Altessimoの2人の孤独は、普通の人よりマシでしょうか?
音楽を通して普通よりもたくさんの思いを理解していた2人が、それを失うのはどんな気持ちでしょうか。
私は、文字通り受け取る"孤独"よりも大きな喪失感があったのではないかと思います。
惰性で書き上げたメロディ 諦めにまみれてた
ヴィヴラートが壊されそうな 夢に代わり泣いた
何となくですが、諦めにまみれていても何かを作り出す、そうやって出来たものはきっと悪くはないけど紋切り型でありふれたものだったのかなと思います。
ヴィヴラートはカラオケとかで聞く、音を伸ばす時に揺らす奏法です。何というか…大声で泣くのではなく悔し涙で僅かに震えるバイオリンが聴こえてくるようです…
でも逃げ出せない鍵盤上しか
自由になっても窮屈で
(Good by past days)
居場所は無いと 分かってた
…本当はずっと
諦めかけていても音楽からは離れられないという事を彼ら自身は心の何処かで分かっていました。
麗さんは"金の亡者"から逃れて自由を得たとしても、それではまだ世界は狭いままだと。
都築さんは、それでも求める場所はこの音楽の世界にあると。
太陽と月のように重なり合えなくても
追いかけあう誰かに会いたくて
"たとえ傷付いても、それを歌にしよう"
約束した君と描こう「Op. Today」
ぴったりと心通わす相手でなくても、1番大事な"音楽"を理解出来る相手に出会えた。その難しさ、素晴らしさを知る2人は"例え傷ついても"という決意を固めます。
太陽と月、追いかけ合うけれど異なる2つのもの…としても良いですが、私は"太陽と月"に込められた思いがあると思います。
普段の2人のやり取りを見ていると、音楽の世界においては何枚も上手で、人生経験の長く鋭いアドバイスをする都築さんが太陽なのかなと感じますが、月は太陽の光が当たって光っているように見える星です。
出会う前、暗闇に閉ざされた都築さんに光を与えたのは麗さんです。
太陽から見れば月はいつも綺麗なはずですし、麗さんは自分が光を与えていると思ってはいないかも知れませんが、都築さんはこの時自分の事を月だと思っているように感じられます。
なぐさめあえる人じゃなくて
並んで歩くより
響きあえるならその人を選びたい
心拍の
リズム違っても
惹かれて…
焦がれ…
離れない
Our Music
なぐさめ合う、並んで歩くというのはお互いに歩調を合わせ、相手の事を思いやって進んでいく…そういった印象ですが、2人はそのような関係を望んでいません。
自分のリズムの事を麗さんは心拍、都築さんはメトロノームと言っています。
心拍は生きている限りリズムを刻みますし、その人自身の気分や調子でいくらでも変わりますが、メトロノームは誰かに動かしてもらわないとそもそも動きませんし、リズムも変わりません。
先程の"太陽と月"の関係はここでも強調されていると思います。
川中島の戦いで2nd Liveを鑑賞した時、たった1回なのでもし勘違いしていたら申し訳ないですが(かなり気合を入れて見てましたが)
すれ違いながらお互いが近付いて行き、なぐさめあえる~の箇所から向き合って激しくお互いの歌をぶつけ合います。
その時、永野さんは歌う事に必死なのですが、土岐さんはじっと永野さんの顔を見ていました。
中盤からお互い目を合わせるのですが、先に目をそらして去るのは永野さんです。だったはずです。
最後の、離れないOur Musicのところで肩を持ち合うのですが、完全に分かり合えたのであれば、もっと距離が近いことを示す方法があったはずです。
対して、前から肩を持つというのは、人に大事なお願いをする時にする仕草です。
今はまだ完全に分かり合えてない、必死に輝く太陽と、それを見つめる月のような関係だけど、これから頼むぞというお互いの強い決意と覚悟が伝わった場面だったと思います。
偉大なる音楽家の
作品群みたいに
僕たちも奏でよう「Opus」を―――
ここまで「Op.」「Opus」に敢えて触れませんでしたが、クラシックに付けられる作品番号の事です。Op.1とかOp.2とかいうふうに使います。
少し1st Movementにも繋がるのですが、クラシックの作曲家は音楽を始めてから死ぬまで人生を賭けて曲を書くような人ばかりです。(寿命が短かったのもありそうですが)
その中で作品番号は完成した作品に後から付けるものですから、言ってしまえば世に出さないのであれば番号は「Op.」は付かないはずです。
それでも2人のこれまでの生き様に「Op. Hello」「Op. Today」「Op. Glad」と名付けるという事は、それも全部含めて自分たちの音楽なんだと言っているようで、Altessimoというよりは、SideM全体としてST@RTING LINEと名付けられたこの地点もちゃんと物語の一部なんだと強く伝えられた気がしました。
めぐりゆく日々のなか見つけたアイデンティティ
一人じゃ未完成な"音楽"
孤独に咲いてた 旋律は出逢って
新しい楽譜 -ゆめ- を歌うよ「Op. Glad」
(Hello, New Dream!)
二人の歌
見失っていたアイデンティティを取り戻し、晴れて2人で進み出す事になりました。
類まれな音楽の才能を持つ2人に足りなかった"確かな音"というのは、孤独ではない事、分かり合う相手がいる事そのものだったのだと思います。
1番では楽譜を開いて同じものを見るに留まっていましたが、最後は2人で歌っています。
この時芽生えた喜び、「Op. Glad」は、今までバラバラに掛け合って歌っていたものとは異なる、2人の歌です。
・嬉しいだけの曲ではない
文中でも書きましたが、どちらかと言うと悲しい感じがするのはやはり覚悟の歌だからだと思います。
確かにこの一瞬は嬉しいけれど、分かり合う=嬉しさを共有するだけではないというメッセージが、悲しげな曲調にも表れているのかなと思います。
・ライブについて
自信ないとは書きましたが、曲を聴いてからセカライを見るまでに、絶対Opusの演出は見逃さないと思って見ていたので、99%くらいは信じてます。
川中島ライブ鑑賞実況で「目も合わせない!手も繋がない!」っていう限界発言がピックアップされてるんですけど、あの時はまだソロ曲を聴いていなかったので、微妙にすれ違っている原因が分からなかったんです。ただソロ曲を聴いて、雑誌の増刊号とかまで読むとそういう演出だったんだなぁと割と確信しています…
神楽麗役の永野さんの選出に苦労したとどこかに書いてあって、ストレートに言えば"土岐さんより歌は下手だけど自信を持って気迫を出せる"かつ、年齢的にも無理なく少年の声を出せる人でないといけないわけです。
なのでAltessimoの全貌が見えてきて改めて配役を見直すと、運が良かったのか、必死に探したのか、とにかく凄く良い結果になっているなぁと思いました。
・相互理解
Altessimoそのものの話ではないんですが、
お互いの"人間"を好きになる、慰めあって並んで歩く関係って、何か本能的に受け入れられない出来事が起こったり、違いに気付いた時に維持出来ないと思うんです。
各々が捨てようとしても捨てられないくらい強く、言葉より深い意味を持つ音楽で繋がっている関係って、多少の違いや衝突があっても、それでも音楽があるから大丈夫って思い合える"信頼"という関係そのものな気がします。
なかなか常人には達せない関係ですが、そういう所にAltessimoへの憧れを感じて惹かれたんだと思います。
The 1st Movement ~未来のための二重奏~
(La la… Welcome our Stage! Starting Prelude!)
(La la… Only one Music! Let's Play Now!)
五線譜にひらひらと音符が舞い降りて
歌という風に乗る その瞬間を
さあ、奏でてみよう
先の3曲が2人の生き様を歌う曲だとしたら、The 1st Movementはファンのために2人が歌った最初の曲(前奏曲)です。
"太陽と月"という関係もどことなく解消され、各々の音がOnly one Musicに昇華されています。まさに2人の歌ですね。
難しくとらえないで
あるがままでいいんだ
生まれるメロディこそが僕らの証だから
ファンに向けてファンのために歌っているという2人の思いが最もよく伝わるのはこの部分だと思います。
音楽は間違いなく難しい、けれどそれを全て理解して欲しいのではなくて、分かり合う事の喜びが伝わって欲しい。そのためには難しく考えるんじゃなくて、まずあるがままに僕らの歌を聴いて欲しい。
この歌が君に届くのならば
きっと変わるだろう"よろこびのうた"に
(Heavenly Melody)
重なって共鳴 -ひび- いたら夢こぼれたよ
The 1st Movement ここから始まる未来へ!
自分たちの喜びそのものを歌ったこの曲を、聴いてあなたが喜んでくれたら、それが僕たちがこの曲を歌う意味そのものだと。
ソロ曲でお互いが出会って音がこぼれた時のように、Altessimoとファンが出会い、アイドルとしての未来が開かれます。
気が付けばひとりでに芽吹いた Passione
命を吹き込む この感動を
ずっと愛してるよ
一枚きりだった翼が
比翼になるみたいに
溶け合って羽ばたいてゆく旋律に出逢えたんだ
またふと気が付くと都築さんは感情を動かしてもらう"月"ではなくなっていて、麗さんは自然と相対して出る音ではなく、人から生まれた思いを音にする感動を。
元作曲家として、元演奏家として、それぞれが歌っているところに、出会いからステージに立つまでの幸せな日々が感じられるようです。
遠い過去、記された音楽は
神様のために作られていたけど
(Classical Music)
いつだって誰かに届けたくて
Imagination あふれるんだね…この歌のように!
意外にも今まで登場しなかった、2人の原点であるクラシック音楽が直接出てきます。
クラシック音楽の中には、このAltessimoの2人の生き様のような具体的な物語やメッセージを伝えるのではなく、ただ良い音を出すためだけに追求されていたものがあります。(例えばアイドルソングはファンのために歌やダンスが映えるように作られるが、そういった目的の一切ない音楽)
ここで歌われている神様のために作られていた音楽とは、ミューズに捧げる"音楽のための音楽"だったのだと思います。(天上の音楽、都築さんの言うミューズに捧げる音楽、最高の体験だったと言う天使と奏でた音楽など)
いつだって誰かに届けたくて…ですから、遠い過去の音楽家は音楽の神様に届けたくて、その神の領域に触れたくて、その思いにあふれていた。今の自分たちは、ファンの皆にこの喜びを届けたくて歌っている…
都築さんは少年時代に出会ったコンサートホールの天使、曲を提供した伝説のアイドルと奏でた音楽をもう一度奏でたいと思っていますが、それが出来ずに長い間暗闇に閉ざされていました。
都築さん自身は、何故それを再現出来ないのか分からずにいましたが、麗さんに出会い、紙の上、鍵盤上で音を追い求めるのではなく、誰かに届けたいという思いが至上の音楽を生むんだという事に気付いたのだと思います。
失くしかけても
二人なら見つけるさ
Ah 紡ごう もっと…幸せ、喜び、愛の調べを!
心が さざめき合って
僕らはひとつになる
正確にはAltessimoがこの曲を出したのは結成から暫くしてですが、ファンに向けた曲としては初めてですから、2人の喜びそのものよりも"これから"を歌う曲として、もっと…幸せ、喜び、愛の調べを!のところにサビ以外の盛り上がりが用意されているのだと思います。
この歌が君に届くのならば
きっと変わるだろう"よろこびのうた"に
(Heavenly Melody)
重なって共鳴 -ひび- いてく夢の音色は
The 1st Movement ここから始まる未来さ!
Symphony "Altessimo"
1番にはなかった"音色"が、ファンに受け入れられ共に歩んでいく様を表しているようで、
都築さんは出会った頃の麗さんの音を透明な音、と言っていました。しかし、透明は何に重ねても色は変わりません。
自分の思いを込めた曲でもそれに応える思いが無ければ、新しい音色、夢の音色にはならないのです。
しっかりとファンに音が届き、歓声や拍手が返ってきて、Altessimoというとても壮大で長い交響曲が始まる…そんな光景が浮かびます。
(Blessing for Life! 希望、歌おう)
(Spreading our Song! 響かせよう Our Chord!)
Chordっていう言葉選びが本当に好きで、楽器の弦、琴線という意味ですが、
ここまで何度も伝えてきた、自分の感情、思いが伝わり合って初めて喜び、良い音楽になるんだという思い。
自分たちの心、琴線が震える、そうして音が出て広がり、誰かに共鳴する…
そんな夢のような光景がたった一言で表されていて、まさに音楽で分かり合う彼らそのもののような歌詞だと思います。
・言葉選び
私がやっている事は言葉をどう捉えるか、という言ってみれば正解のない楽しみ方なのですが、ただの妄想だと切り捨てられないのは、やはり曲にそれだけの情熱が込められているからなんだと思います。
極端な話、ストーリーやマンガで物語は進行しているわけですから、歌詞に出てくる旋律とか楽譜とかChordとか全て"音"としてしまっても矛盾はしないわけです。
それでも敢えて色々な難しく見える単語を使うのは、Altessimoに込められた思い、伝えたい事がこの曲にあるからだと思います。だから自分もそれに応えたいという思いで曲をもっと聴きたくなるんだと思います。
・音楽の神について
都築さんが求めていたのは神の音楽で、それを実現するにはただ音を紡ぎ続けるのではなく、人に届けて分かり合う事が必要…というような事を書きました。
これは1st Movementの一節と都築さんの過去だけから感じたのではなく、プロデューサーからAltessimoに与えられた仕事も関係していると思います。
初期のAltessimoのイベントは、子供、自然などのテーマがかなり続きます。
これらは、彼らが(特に都築さんが)聴いた事のない音。生きているものが意図的に音を出そうとしているのではなく自然に出る音に触れ、何も考えず聴くだけで純粋に美しい"神の音"に近付いて欲しいというプロデューサーの考えではないでしょうか。
故郷のベルリンは海に面していませんし、身の危険も顧みず海に入って行ったり、スクールオブコーラスで子供達の歌声に聴き入っているところを見るに、プロデューサーの考えは当たっていたように思えます。
更に言うなら、言及していなかったSanctuary Worldの最後に出てくる"見守る日差し"
光がテーマの曲で非常に分かりづらいですが、この日差しは麗さんではなくプロデューサーとしても良い気がします。プロデューサーは初め、人目を気にせずに弾いていた麗さんの純粋で透明な音を聴きスカウトしました。そのプロデューサーがユニットとして出逢いつがいの羽になった2人を見守っているのは…と考えると有り得る話かなと…
というわけで少しだけ戻らせて頂きますが、Sanctuary Worldという曲は麗さんに会うことで"神の音"を取り戻した(復活した)ようで本当に嬉しかったけれども、それはあくまで都築さんの中、狭い世界の話…
という事を、神の領域、もしくは誰にも触れられない避難所という意味を持つサンクチュアリという言葉で表現しているのだと思います。
・"よろこびのうた"について
Altessimoにとってのよろこびのうた…としても良いのですが、引用符が付いていたり全部ひらがなだったりあまりにも思わせぶりなのでやはり気になってしまいます。
まず連想されるのはベートーヴェンの"歓喜の歌"です。よく演奏されてる第九ってやつです。当然本物のクラシックなので、自分には到底紐解けませんし、誰かの解説を引用するにも長くなりすぎるのでざっくり言うと、"地上で色々な事が起こったり考えたりするけど、それを通して天上の世界を夢見る"曲だそうです。
何となく、ファンという身近な存在から至上の音楽(Heavenly music)を目指す2人を表していそうな気がします。
Tone's Destiny
Fly On Our Music…This World!
奇跡みたいだったHarmony 変わらずにここにいる
見えない羽で軽やかに飛んでゆく
This World!がとても良い。Sanctuary Worldのような音楽で出来た狭い2人の世界ではなくて、アイドルの世界を羽ばたいています。
音楽という非常に難しい世界で出会えた奇跡を忘れてしまったわけではないけれど、今も2人で飛んでいて、もう意識にも上らないくらい強く結ばれている…
早く 行こう
次の空へ! 心急かすのは
volti subitoって
今日の五線譜-ノート-に
記されているように
感じるから
新たな世界、人に出会う喜び。1st Movementで見た夢はどんどん広がっています。(volti subitoは急いで譜面をめくれ、です)
何気ない一節ですが、opusや1st Movementでは掛け合いで個々の思いをそれぞれが歌い、共通することを一緒に歌う事が殆どでした。
今は1つの単語を2人で歌っています。しかも、都築さんが歌う"五線譜-ノート-"という表現はどちらかというと麗さんが多用していましたし、よく準備のいい麗さんがメモ帳を渡していました。
Altessimoは2人で長い時間を共に過ごし、1つになったんだなぁ…って突然ぼんやりした言葉しか出なくなりましたが、2人の長い時間が表されているようで好きです。
たった二つの音が紡ぐ 無限を秘めるSymphony
風のなかで
無邪気に踊る
そんな僕らに…
声が
Altessimoとして夢中で日々を過ごすうち、声が届きます…
踊るというのも2人には珍しい言葉ですが、何でも音楽で捉え音楽で表現していた彼らが、最近は自分たちなりに音楽以外の方法で表現し始めています。
歓びは繋がりあえるんだね
なんて幸せなんだろう!
もっと知りたいと思ったら世界広がっていた
触れ合うすべてのMusic
もたらしてくれる 出逢いに…
Thanks for Tone's Destiny!
声の主は、315プロダクションの皆。
もっと新しい音を知りたいという始まりは音楽だったけれど、皆のmusic、生き様を感じる事で、深く通じ合う…
"出逢い"は"出会い"よりも、特に親しい人に巡り会うという意味があります。ただ知らない人に会うのではなく、お互いを分かり合う事で幸せを感じる。Altessimoが出会った時のような奇跡です。
ごらん自由の外側にも
こんな驚きがあると
ヒカリのように旋律がハネている
自由の外側というのはきっと、奇跡のようだと思っていた2人の世界よりも更に外側、315プロの皆の世界なのかも知れません。
日々は とても
ドラマチックに
胸を揺らすから
poco a pocoでも
目まぐるしくて
どの瞬間も歌に
したくなるよ
1番では五線譜-ノート-という言葉に2人の関係が見て取れると書きましたが、ここでは315プロの皆の姿が見えてくるようなそんな気がします。
今までの2人は感情などを何でも音楽用語で表していたと思いますが、ドラマチックって音楽でも十分表現出来ますし、そのままdramatic、dramatischといった書き方でも良いはずです。それをわざわざカタカナで書くというのは、ストーリーでも言われていたようなより相手に伝わる音楽を追求した結果が表れているのかなと感じます。
"夢"と名付けたOpus広げ 心のまま響かせたら
最初のDuet
いつの間にか
最高のOrchestra
Play…On Stage!
この出だしが本当に素晴らしい景色で…
Opusとは自分たちの生き様そのもので、ぶつかり合う覚悟も含んだ2人の全てです。それを隠すこともなくそのままに響かせています。
そうしたら最初のDuet、Our stageだったものが、Orchestraに変わったわけです。Altessimoとそのファンが奏でていたシンフォニーは、どんどん音が増えてたくさんの楽器と音が合わさったオーケストラになります。
調子外れなハーモナイズも
気持ちは同じだよと
そっと教えてくれたセッションが
生み出すよ
新たな未来の音を!
音楽にとって、調律がとれない音というのは明らかに良くないものです。
セッションはクラシックでは使われない言葉ですが、その場その場で集まって演奏する…というようなニュアンスがあります。音楽とは遠い分野の仕事を通して、音楽以外でも理解し合うすべを手に入れ、それでも気持ちが通じる。
そういう大きな一歩を踏み出したのだと思います。
調律できない明日に
自分たちらしいリズムで
飛び込んだなら
待っているんだね
旋律-ゆめ-と絆が…
"行こう、僕たちも―――"
未来は何があるか全く分からない。故にどんな音が出るかも分からない。
けれど、自分たちのリズム、自分のアイデンティティを持って飛び込めば新しい何かが待っている。新しい絆が生まれる。
透明で、繋がってみないと分からないような不安定な自分たちではなく、自信を持って飛び込めるAltessimoの2人です。
たった二つの音が紡ぐ 無限を秘めるSymphony
風の中で
無邪気に踊る
そんな僕らは 気づく
歓びは繋がりあえるんだね
なんて幸せなんだろう!
もっと知りたいと思うから世界広がってゆく
触れ合うすべてのMusic
もたらしてくれる 出逢いに…
Thanks for Tone's Destiny!
2人でどこまでも進んでいくのではない、仲間と共に進んでいくそんなアイマスの物語が体現されています。
toneは音の高低以外に音色…自分たちの個性が生み出した運命。運命と言ってもdestinyですから、支えられながらも自らの力でここまで来たという実感が伴っています。
歓び。もうお決まりの流れですが、この漢字の"歓び"は外で起こった事が嬉しい、のではなく、内から湧き上がる喜びを表します。伝えた何かが返ってくるから嬉しいのではなく、自分たちが新しい世界に飛び込み、繋がり合う事そのものが嬉しい。
そんな2人の姿が浮かんできます。
・他ユニットとの繋がり
これもやや歌詞から飛び出しているのですが、Tone's DestinyはAltessimoがこれまで一緒に仕事をしてきたプロダクションの仲間が見え隠れしているような気がします。
"神の音"のところで子供との仕事について書きましたが、無邪気に踊る楽しさを教えてくれたのはもふもふえんなんじゃないかなと思います。タイミング良すぎますが、だんだんと2人以外の人に伝わる音楽を奏でるようになって、4thでもふもふえんにそれを改めて褒められるというのは、彼らが至上の音楽に近付いている証拠ではないでしょうか。
"調子外れなハーモナイズ"もどのユニットでも有り得ますが、個人的にはTHE 虎牙道が浮かびます。
一見対極にありながら2組に共通している事は、言葉でも共通の体験でも得られない信頼関係だと思います。
THE 虎牙道はAltessimoと違っていつもケンカしていますが、根幹を支えているのは"勝負"のように見えます。彼らはそうしようと示し合わせたわけではなく、説明するでもなく進んでいきます。
相互理解のところで書きましたが、言葉にしない信頼関係はとても強いです。AltessimoとTHE 虎牙道の一見謎な繋がり、お互いの尊敬はそこから来ているのだと思います。
この辺にしておきます。
・楽曲に込められた情熱
"言葉選び"で同じような事を書きましたが、感想を人に読んでもらうのは少なからず不安があります。
人によって全然違う感想を抱くのは当然の事で、頭では分かっていても、違うという事はそれだけで心に引っかかるようなものを残します。何も言わなければプラマイゼロです。
それでも今回こんなに長い文を書いたのは、きっかけとしてはやはり"我が混沌のサバト・マリアージュ"について書いた時の事があるのかなと思います。
ミリしらではありますが、あの時曲を聞いた時の驚きは本物でした。
普段は数人しか来ないブログなのですがたくさんの人に読まれ、語彙力が凄いとか当たってるとかたくさん褒めていただいて本当に嬉しかったです。
後から見るとサタンは誰かではなくて肩の人形でしたし、アスランは予想したよりも更に純粋な人でしたね。
ただ、やっぱりミリしらはミリしらであって、ある程度外れていても許されるし、少しズルをしたような思いがありました。
そうこうして7ヶ月も経ってセカライを見終わった時、全く知らない方のこんな発言を目にしました。
~
(前略)個人的に、老若男女問わず数多の人に、違うジャンルの方々に好かれるものが好きでして…
そういう作品に共通するのって制作側の愛とプライドとこだわりと腕が見られるところなんですよね。
私はSideMのキャラが作られた物である筈なのにまるで生きているように存在してるのがたまらなく好きで
(中略)そのこだわりは曲からも歌詞からもすごい伝わってきて、最初すごい感動して、だからひふみさんのサバトを聞いたブログを読んだ時、「やっぱりSideMはミリしらの方にもちゃんと通じる程の愛とこだわりがある素敵なコンテンツなんだ!」って感動してました。
テンション出さずにtweetしてたけど、ひふみさんのあのブログ、炎上しそうな案件が出る度に読みにいってて、「大丈夫、スタッフを信じよう」って気力?もらってました。
~
書いた当時にも、私は凄さを解読しただけでこの曲が凄いんだ!っていう私の思いを受け取ってくださった方はたくさんいました。
でも半年以上も経つのに、自分はどこかズルをしてしまったなと思うものを何度も読んで心の支えにしてくださった方がいて、しかもそれを言葉にするというのは相当勇気が要ったと思います。
本当にSideMそのもの、SideMの楽曲は自分が思う通りか、それ以上に情熱がこもった作品なんだと思えました。
だから、これだけ真剣に聴いても、きっとそれだけの情熱がこの曲に込められてるんだから大丈夫だと信じられたし、この感想を書くことが出来ました。
私にはない言葉以上の力を持つ音楽を操り、本当に幸せそうなAltessimoの事を羨ましいとすら思えますが、これが読んでもらえて、皆さんにその情熱が届いたら、それはきっと私にとっての「Op. Lyrics」です。