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何文字でも書けるツイッターです

ツイッターに書かない事

ツイッターに書くのを躊躇ってしまった話題を書いておく回です。

 

妖精帝國

音楽って素人語りが躊躇われる分野の最たるものだったんですけど、単に何も書かずにいるの寂しいなって思いの方が強くなってきたし(mixiの頃は行ったライブの感想全部書いてたのに)

文字や映像よりも不安定で、体系だったバチッとした文が書けるもんでもないと思うので、ブログのおまけ的に少しずつ書き貯めて行ければなという気持ちでやっていきます。

 

"妖精の存在を信じなくなった人間が増え、荒廃の一途をたどる「妖精帝國」。音楽を通じて人間達に妖精の存在を思い出させ、妖精帝國を再興させるため、皇女ゆい橘尭葉による音楽ユニット「妖精帝國第参軍楽隊」を1997年名古屋市で結成。便宜上ユニット名を「妖精帝國」とする。" Wikipediaより。

あと言っておきたい事は、妖精帝國はアニソンシンガーで、発売されたシングルの半分以上にアニメタイアップ曲が入っている。

タイアップが多いという事は当然アニメの内容とアーティストの色が混ざった曲になる。その色を分けて考える事は出来ないけれども、混ざっているんだなと理解しておく必要はある。

 

インディーズ時代から数えると22年間活動している事になるが、自分が追いかけ始めたのは2007年頃、メジャーデビューが2006年なので、ここ10数年くらいの話をしつつ、音楽性からメンバーから何まで変化し続けている妖精帝國において、これはデビュー当時から一貫しているなと自分が考えている事、"妖精の存在を信じる、妖精帝國の再興"とは一体何を言っているのか(一体何を言っているのか…?)という所にいつか着地出来ればなと思う。

 

というわけで今回は、メジャー2枚目のシングルであり、妖精帝國が世に知れ渡る1つ目のきっかけである「鮮血の誓い」(ちなみに「鮮血の誓い」はそのまま曲名になっているアニメのOP)このシングルに入っている「孤高の創世」という曲について簡単に書いておく。

 

ずばり、オリジナル曲である孤高の創世は、ローゼンメイデン水銀燈を勝手にイメージした曲である。これはどこかのインタビューで言っていたので間違いない。

妖精帝國は小さなテーマ(今回は水銀燈)に合わせた曲作りをする際に、妖精帝國としての芯みたいなものをしっかり詞に残す、というのが特徴の1つとしてある。と思う。

水銀燈ローゼンメイデンについて語っている暇がないのでぶっ飛ばしてその特徴だけを抜き出してみる。以下この曲のラストの歌詞

"銀の髪と紅く深いガラスの眼で

作り上げた似せて非ナル私を

縛るモノも責めるモノも有りはしない

孤独だけが私癒し続けて往く"

水銀燈は確かにプライドが高いドSキャラではあるけど、劇中ではお父様や真紅への依存度がめちゃくちゃ高く、 "孤高"には程遠いんだけど、その曲の結末を、孤独な自分だけの美しい世界で終わりにするところが実に妖精帝國らしいポイントだと思う。(あまりにも水銀燈が好きすぎて幸せになってくれー!という思いで書かれた説は大いにある。)

孤独というテーマは、"妖精"って一体なんやねんというところに多分繋がってくる予定なので、帝国なのに孤独なんやなぁくらいのイメージをもっていてもらえたら最高である。

好き語りって難しい。おわり。

 

 

WAIS-Ⅳを受けたい

タイトル以上の事はないんですが、今までは結果も見えてるし受けても多分何も変わらないし、お金と時間が…って思ってたんだけど、この下のプーさんの心理テストで(テスト自体はよくあるやつ)友人の結果が思ったより綺麗に出ていて、人間ってそれぞれ違うんだなぁと小学生並みの感想が出たり、ずっとモヤモヤしてるくらいなら医者に聞いてすっきり出来るか取り敢えず試すしかないよな…!という気分にこないだ変わりました。

 

障壁になってるのはどこに受けに行くか問題で、数字というよりお話をする診断である以上、その医者やカウンセラーを自分が信用していないと受ける意味がないわけです。自分はそういう情報を何も持っていないので、実際に受けに行った事がある人はこっそり教えに来て頂いて、採用された方には何か返せればなと思う次第でございます。

薬をもらうつもりは今んとこないので、病院でなくても大丈夫です。

 

りょなけっとと創作のエネルギー

りょなけっとって運営がした「あなたがリョナだと思えばそれはリョナです」という宣言があって、小さい即売会ながらジャンルが物凄く混沌としてて、故に作家の考えてる事も物凄く極端でバラバラ。

その中、好きな作家の人たちを何人かフォローしていたりインタビュー本を読んでいると、過去に結構悲惨な出来事や環境があって、それが影響してここに来たと思う。的な発言をする人が何人かいた。

その人たちのツイッターは本当に暗くて、例えば自信の無さであるとか社会への疑問とか怒りとかで溢れていて、というかそれしかなくて、でも創作をやっているからそれをぶつける先があって何とか生きてるように見えた(ツイッターや紙面上は)。

そうしているうちに作家間の横の繋がりが出来て、シンプルに分かり合える人に会えて良かったという作家もいれば、存分に暴れられるフィールドを得て元気になったという人もいた。

けど自分が気になったのは、描きたかったものを描き終えてひとまず満足した、誰々の言葉で目が覚めて呪いから解放された、っていう話がそこそこあった事だ。

ここに書かなきゃどこに書くという感じなのでぶっちゃけてしまうが、友達が増えてからつまんない作家になってしまったな、と思った事もある。

創作をするエネルギーっていうのは、理解者が現れたり、居場所が出来ると減るもんなんだろうか。減る人もいる、事は間違いないんだろうな。

響-HIBIKI-に出てきた「世の中に言いたい事なんて無くなっちまったんだよ」のおっさんとか、ミドリの「あるべき姿を求められる負担」とか、1人である事、辛い状況にある事とかが生み出すマイナスエネルギーって本当に存在してるんだなぁって、言葉では分かってたけどそれを目の当たりにして、面白い同人誌が出るって奇跡ですねぇ~とかいう面白くないまとめで締めておこうと思います。

やっぱり、読者に出来る事は本を買う事と、次も読みます。という事しかない。

 

アラーニェの虫籠

去年みたアニメ映画で、その時の感想に「お話は所謂投げっぱなしで、"それっぽさ"を投げ散らかして終わり。人気が出ればオタクが説明を付けてくれそう。」と、要するに何か考察しがいのありそうなパーツがぽんぽん描写されるんだけど、全く意味分からないし伝える気もないし、独りよがりではないですか?

って思ったんだけど、今年の円盤発売にあたって出たコメントが(ちょっと長いけど)

「『アラーニェの虫籠』は通常のエンタメ作品よりも、感覚的なビジュアルを重視しているため、説明的なセリフを意図的に排除し、観客の想像にゆだねる手法を取っています。

 ゆえに一見、難解な印象を持たれる場合もありますが、決して「わからない」だけの作品ではありません。監督の中には当初から、ちゃんと「正解ルート」も存在しています。

 ただ、その“正解”だけがすべてではなく、監督の狙いとして、奔放なビジュアルから、観客が自由に謎解きを考察し、自分なりの解釈をもって、作品を楽しんでほしいという思いがあります。

ストーリーや設定、ビジュアルは複雑に練りこまれ、観客が多様に想像できるだけの余地を残しており、様々な解釈が生まれるよう、冒頭からラストまで、細部に工夫を施しています。(もともと本作の設定は、テレビアニメでいえば1クール=13話分程度の情報が詰め込まれており、従来のわかりやすいエンタテインメントとは一線を画す構造になっています)」

 

まとめると、意図的に説明をしていません、正解はありますが自分なりの解釈を持って欲しい、想像出来るだけの工夫をしている

そういった多様な解釈を楽しむ作品というのは、まず鑑賞する個々人の前に作品という個が感じられなければ、何の前提もなしにリンゴは白いとか黒いとか喚き合うだけにならないんだろか。

この作品に関して自分が確実に言える事は、作者の頭の中に何かがあること、蟲の絵に気合が入っている事。それじゃ適当に集めたイラスト集に物語を後から付けるのと何も変わらないんじゃないのかな…

まずリンゴが赤っぽい事を伝えきれていないというのは、面白くないと言っていいんじゃなかろうか…リンゴは白でも黒でもいいですよ、という事ではあるんだろうけど、それって"ストーリー"のある映画ではないよね…?

本当にそのコメントは「分からない」と評する人達へのフォローなのか??と不信感が募りまくり、ここに表明するに至りました。以上。